昇圧後
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買収・国有化時の所属車を示す。電気機関車は3形式9両、電車は11形式28両が国有鉄道籍となった。これらは、買収後も私鉄時代の形式番号のまま使用されたが、電気機関車は1952年(昭和27年)に、電車は1953年(昭和28年)に国鉄形式を付与された。 電装品は基本的にゼネラル・エレクトリック社系で、電車・電気機関車共に同社の日本における提携先である芝浦製作所の製品が多用されていた。
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昇圧後
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「京阪1000系電車 (3代)」の記事における「昇圧後」の解説
1983年(昭和58年)12月4日に実施された架線電圧1,500V昇圧に際しては、落成当初より昇圧対策が盛り込まれた本系列は主電動機等の結線変更といった小改造を施工したのみで、ほぼそのままの状態で継続運用された。 1990年(平成2年)4月から同年9月にかけて国際花と緑の博覧会(通称「花の万博」)が大阪・鶴見緑地において開催された。京阪では花の万博に協賛して、同万博のテーマに沿った、白をベースとした特別塗装・装飾が施された3編成の特別編成を運行したが、本系列からは1001編成が「はな号」として赤色の波状ラインをあしらった特別塗装となり、1989年(平成元年)3月17日から1990年(平成2年)9月26日にかけて運行された。
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昇圧後
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「阪神5101形・5201形電車」の記事における「昇圧後」の解説
5101形と5201形は、昇圧後も引き続き昇圧前と同様に基本編成から増結車まで普通運用に幅広く充当されていた。5201形も単車走行が可能であるが、「ジェットシルバー」の5201 - 5202は、原則として2両固定の基本編成用として運用されていた。 しかし、登場以来長年にわたる高加減速運行は台車や主電動機、駆動装置などといった足回りに過度の負担を与えることとなり、加えて構造が複雑でしかも高い工作精度を要求する直角カルダン駆動装置の保守に手を焼くようになった。そこで、1974年から台車や主電動機、駆動装置の換装を開始、1976年までに5101形3両、5201形13両が、台車を住友金属工業製S型ミンデン台車のFS-391に、モーターを東洋電機製造製TDK-8145A (90kW) に換装され、併せて駆動装置も中空軸平行カルダンに変更された。この足回り換装中に、普通系車両の冷房化という問題が浮上し、足回りの換装工事も中止された。
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