日本における対策
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日本住血吸虫症(地方病)にはプラジカンテルと言う特効薬がある。しかし、感染を繰り返す度に肝臓が破壊される問題もあるため、根本的な解決には至らない。そこで「水田、用水路には素足で入らないこと」等の感染予防指導を行い、同時に日本住血吸虫の生活環自体を破壊する試みが行われた。 日本住血吸虫の中間宿主であるミヤイリガイは、水田の側溝などに生息し、特に水際の泥の上にいる。そこで、それまで素堀で作られていた水田の側溝をコンクリート製のU字溝に切り替えたり、PCPなどの殺貝剤を使用し、ミヤイリガイが生息できない環境を造る取り組みが行われた。 日本では第二次世界大戦後に圃場整備が進んだことから、ミヤイリガイも減少し、日本住血吸虫病も1978年以降、新規患者の報告はなくなった。 1996年2月、国内最大の感染地帯であった甲府盆地の富士川水系流域の有病地を持つ山梨県は、日本住血吸虫病流行の終息を宣言した。115年にわたる対策の成果であった(詳細は「地方病 (日本住血吸虫症)」を参照)。 西日本における主要な感染地帯であった筑後川流域では、筑後大堰の建設を機に、河川を管理する建設省(現・国土交通省)、堰を管理する水資源開発公団(現・水資源機構)、流域自治体の三者が共同して、1980年より湿地帯の埋立て等の河川整備を堰建設と同時に行い、徹底的なミヤイリガイ駆除を図った。この結果、1990年には福岡県が安全宣言を発表し、その後10年の追跡調査を経て新規患者が発生していないことを確認し、2000年に終息宣言を発表した。ミヤイリガイの最終発見地となった久留米市には「宮入貝供養碑」が建立され、人為的に絶滅に至らしめられたミヤイリガイの霊を弔っている(詳細は筑後川#日本住血吸虫症の撲滅を参照)。 昔、利根川流域(茨城・千葉県)は有病地で、1970年に河川敷で放牧されていた乳牛に再発生した。このため千葉県が自衛隊に依頼してミヤイリガイ生息地を火炎放射器で焼き払ったうえに客土で覆い、放牧地として使わなくする措置をとった。 ただし、全てのミヤイリガイが絶滅したわけではない。現在でも千葉県小櫃川流域及び最大の有病地であった山梨県甲府盆地北西部の釜無川流域では、継続的に生息が確認されている。つまり、世界で感染したヒトが野糞をすると、再流行する可能性はあり、安心というわけではない。
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日本における対策
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家畜伝染病予防法の届出伝染病に指定されており、ウイルスを確認した場合は都道府県に届け出なければならない。なお、日本では1974年にウイルス侵入が確認され、1994年に北関東地方で肥育されていたウシとヒツジ(綿羊)での発病例がある。
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