日中関係と1972年総裁選とは? わかりやすく解説

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日中関係と1972年総裁選

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)

三木武夫」の記事における「日中関係と1972年総裁選」の解説

河野謙三木内四郎破って参議院議長となる直前1971年昭和46年7月15日アメリカニクソン大統領中華人民共和国との国交正常化交渉の開始発表した。更にニクソン8月15日に金とドルとの兌換停止などを骨子とするドル防衛策を発表する政権発足して7年目となる佐藤政権には、このような世界新し流れに対応出来活力失われており、強力であった佐藤政権その限界明らかになってきた。佐藤、そして佐藤後継者候補考えていた福田にとって、日本頭ごなし進められ米中歩みよりは特に打撃大きかった日中国交正常化佐藤政権佐藤息がかかることになる福田政権では困難であるとの声が高まりつつあった。 三木松村謙三高碕達之助とともにかねてから中華人民共和国との国交正常化積極であった1971年昭和46年8月21日中華人民共和国との国交正常化尽くした松村謙三死去し松村葬儀中日友好協会副会長王国参列した中曽根康弘総務会長佐藤首相王国との会談が行われるよう調整したが、会談行われなかった。一方8月29日三木は王と会食行い訪中約束した当時三木超党派議員によって構成されていた日中議連提出した日中正常化決議への署名差し控えていた。これは佐藤後継者候補として野党との無原則共同歩調避け日中関係実効ある進展目指したものとされている。 1972年昭和47年4月13日三木ブレーン大来佐武郎平沢和重娘婿高橋亘秘書竹内潔とともに香港経由北京向かい周恩来首相会談行った三木マスコミ同行要請拒絶し周恩来との会談内容極秘とされた。会談内容政治家ではないとのことで三木と周との会談同席許され高橋亘メモを、三木自らが清書した考えられるものが残されており、会談の中で三木はまず日中国交回復全力尽く決意述べた上で国交回復のために解決すべき問題について、現実的かつ条件慎重に切り出す政治的な発言行い、周との間で意見調整図った帰国後、三木自民党実力者などを精力的に回り日中国交正常化の機が熟しつつあると訴えたこのような中、佐藤沖縄復帰花道引退を表明し、佐藤後継総裁選びの動き活発化していた。佐藤派内では急速に田中角栄影響力拡大しており、佐藤後継者として考えていた福田迫りつつあった。そして三木6月21日総裁選出馬表明する当時三木派内には早川崇中心とした親福田グループがあり、中曽根派野田武夫らが親福田であった。しかし総裁選前にして野田武夫急死したこともあり、中曽根総裁選への出馬見送り田中支持表明する総裁選前にして三木田中との会談臨んだ会談同席した金丸信回想によれば三木部屋に入るなり座ろうともせず立ったままで「日中問題をやるか」と、田中詰め寄った田中三木日中国交正常化取り組むとの条件飲み三木決選投票では田中支持することとなった7月2日には総裁候補田中大平三木記者会見行い日中国交回復目指すなどの政策合意事項公表され第一回投票で三候補のうちでトップとなった候補に、決選投票投票することが決められた。この結果田中後継総裁レース極めて優勢となった1972年昭和47年7月5日三木の他に田中福田大平の四名が立候補した自民党総裁選第一回投票で、三木69票と最下位四位となり惨敗する。この時の総裁選では多額金銭動いたとされているが、海部俊樹回想によれば三木陣営も金を配った。そして田中福田の間で行われた決選投票結果田中大平三木中曽根の四派の支持固めた田中圧勝し田中佐藤後継総裁となることが決定する

※この「日中関係と1972年総裁選」の解説は、「三木武夫」の解説の一部です。
「日中関係と1972年総裁選」を含む「三木武夫」の記事については、「三木武夫」の概要を参照ください。

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