文学の中の便所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 15:02 UTC 版)
文学における便所は、小説から歌詩までさまざまに語られる。小説である『クンチャーン・クンペーン物語』では2章において便所について語られる個所があり、クンチャーンがクンペーンに対する讒言をし、パンワサー王への謀反の罪を着せた。その起訴事実のひとつが、徒党を組み、王族でもないのに厚かましくも住居の中に便所を建設したことである。昔、平民が住居の中に便所を作ることは身分不相応なこととみなされたのである。 奴は森に(王の)仮在所を打ちたて 砦を築いては、王の御前としている 壮麗な王の便所を作り ついには醜き城邑を建てようと目論んでいる มันปลูกตำหนักป่าพลับพลาแรม ค่ายป้อมล้อมแหลมเป็นหน้าฉาน ตั้งที่ลงบังคนชอบกลการ นานไปก็จะเกิดกลีเมือง もう一つは、ワントーンがクンペーンと縁を切ろうと思い立った章である。これはワントーンが愛した夫を思い、千々に心の乱れるヒロインとして、苛立ちとともに思いの丈を表明し、クンペーンとの生活の痕跡を家から消そうと大掃除をするシーンである。 香油、ガラス、香粉も皆まとめて 投げ捨てて、干乾びさせ、バラバラにしてやる 嘘つきな奴など消し去ってやる 便所の穴も埋め戻して、跡も残らないほどにしてやる ทั้งน้ำมันกระจกกระแจะแป้ง จะทิ้งไว้ให้แห้งเป็นสะเก็ด ให้สิ้นวายหายชาติของคนเท็จ จะขุดเว็จฟื้นดินให้สิ้นรอย 雑誌「タイ族」(นิตยสารสกุลไทย)に収録された ヂュンラダー・プーミノット(จุลลดา ภักดีภูมินทร์:作家ロワダーンの別のペンネーム)の『シーサムラーン』(ศรีสำราญ)にも以下のように記述されている。 便所とは穴式便所であり、家屋の外に作られる。便所穴が一杯になると、土で埋め返したのちに新しい穴を掘る。クンペーンの便所は、結婚してから夫婦として一緒に生活をし、一年越しで戦士として戦場に赴くまで排泄をしてきた便所である。そして浮気をしたクンペーンの汚物もまた長い間そこに溜められてきたのである。汚物が便所の下の土と同じようになると準備が完了する。ワントーンは言ってないかもしれないが、人にお金で頼んでやってもらったのだろう。土を掘って汚物を新たに混ぜ返し、新しい土で埋め、臭いの古い痕跡を消す。そうすることで汚物はなくなったが、夫の汚物のにおいだけがワントーンの鼻と家に不吉なものとして漂うのである。 ポップカルチャーのなかにも、便所に関係する歌詞を書いている作詞家がいる。便所の滑稽さを強調してうたっている曲では、チャイラット・ティアップティアン『便所はどっちにあるの』(ชัยรัตน์ เทียบเทียม『สุขาอยู่หนใด』)があり、この曲は1971年の映画『迷い時期』(วัยอลวน)(パイロート・サンウォリブット/ララナー・スラーワン監督) の挿入歌である。この曲の原曲の作者はピヤポン・エーノックグン(ปิยพล เอนกกุล)で友人グループと歌っていたが、パイロート監督がこれを採用し、チャイラットが新曲を作成した。 もう一つの曲の歌詞に中に便所が出てくるのは、『トイレを貸して』(『กู้ส้วม』)である。この曲もまた映画『ゴースト・ステーション』(ユッタルート・シッパパーク監督、タイ語名『ゲイ、集まってね』(โกยเถอะเกย์))の挿入歌。映画の主演はセーナーホーイ・クリヤティサック・ウドムナートとプーン・ナーコーン。曲はセーナーホーイがメインボーカルであり、ラップ部分はダージムが歌い、プーン・ナーコーンも副ボーカルとして参加している。歌の内容は性の権利について述べたものであり、男性のゲイが公衆便所に入る時の問題を訴えたものであるが、ユーモアを交えて歌っている。
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