排除の論理
1996年に菅直人、鳩山由紀夫らが民主党を結成した際、民主党に合流の意向を示していた新党さきがけ・武村正義ら一部の政治家の入党を拒否したことを指した語。
村山富市内閣の下で大蔵大臣を務めた武村正義の入党を拒んだことは、安易な寄り合いとして結党するのではないという姿勢の表れと評された。「排除の論理」は1996年の流行語となり、その年の「新語・流行語大賞」にも選ばれた。
鳩山由紀夫は2012年11月に政界引退を表明した。その契機として、野田佳彦・民主党代表が党の方針および公認条件として示した「TPP推進」や「消費税増税」に鳩山由紀夫自身は反対を主張しているという事柄が挙げられており、かつて鳩山由紀夫が振りかざした排除の論理によって鳩山自身が排除された形だと指摘する見解もある。
排除の論理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:34 UTC 版)
「民主党 (日本 1996-1998)」の記事における「排除の論理」の解説
鳩山由紀夫、菅直人両名が民主党を設立する際、新党さきがけ前代表武村正義元蔵相や旧日本社会党(1996年1月から社会民主党)の村山富市元首相や土井たか子らの旧所属政党の負のイメージが強い幹部らの入党を拒否した。『新党さきがけ』のほぼ全員と社民党からは『民主党』結党に参加した岡崎トミ子らに続き、党所属していた半数以上から入党希望が発生して、当時の両院現職国会議員57名と旧社会党の支持母体の労組で『民主党』は結党された。武村は『新党さきがけ』として丸ごと合流を希望したが、『新党さきがけ』代表幹事だった鳩山由紀夫は幅広い勢力の結集を目指す「個人参加」の新党を主張して、自身の所属していた『新党さきがけ』の負のイメージを長い間代表だった武村ひとりに押し付けた。後の10月の解散で排除された社民党と『さきがけ』は弱小政党に転落するが、旧社会党など左派的な議員を多数含んでいた民主党はほぼ横ばいの52議席を獲得して第三極の政党になる。排除された武村は一度落選後に旧社会党幹部とは違って、2001年には民主党への入党を認められる。1996年の一連の鳩山由紀夫・菅直人の手法を指す言葉として排除の論理は使われ、年末の「日本新語・流行語大賞」では、鳩山由紀夫が唱える「友愛」と共に1996年の流行語大賞に選ばれた。社民党は村山から土井に党首を変えたが、第一野党だった時代の日本社会党に所属していた横路や赤松広隆・輿石東・鉢呂吉雄らや社民党での新人当選者を含めた半数以上の35名が党から移籍をした。1998年の参院選で社民党からは福島みずほらが立候補・当選するが党は野党第一党としての自民党批判票と支持母体の多数を失って低迷した。 2017年、民主党の後続である民進党が事実上解体されて小池百合子代表による希望の党に合流する際、『排除の論理』が民進党議員に適用された。1996年に旧社会党などの幹部議員を排除した側であった菅直人らが、今度は排除される側となり、「皮肉な歴史の巡り合わせ」と報道された。同年10月2日には民進党内のリベラル系議員を中心に立憲民主党が結成され、1998年の第2次民主党結成以来続いた旧社会党系と旧民社党系の同居状態は解消された。
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