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新党さきがけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/13 06:13 UTC 版)
(さきがけ (政党) から転送)
| 新党さきがけ New Party Sakigake(NPS) |
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|---|---|
| 成立年月日 | 1993年6月21日 |
| 解散年月日 | 2002年1月16日 |
| 解散理由 | 党名変更 |
| 後継政党 | みどりの会議 |
| 政治的思想・立場 | 環境主義、自由主義 |
新党さきがけ(しんとうさきがけ、略称:さきがけ、英: New Party Sakigake, NPS)は、かつて存在した日本の政党。
目次 |
概要
1988年、自民党の中堅・若手議員であった武村正義、田中秀征、鳩山由紀夫らが中心となり、党内の改革グループユートピア政治研究会を結成。政界浄化やリベラルな政治改革を訴えていたが、彼らが1993年の宮沢内閣不信任決議可決をきっかけに離党して結成されたのが新党さきがけである。なお、不信任決議案については研究会のメンバーの多くは反対票を投じていた。他方で不信任案に賛成していた小沢一郎らは当初離党の意志はなく、党内で改革運動を継続するつもりであったが、不信任に反対した武村らが離党したことから、自身も離党を決心したとされる。したがって、さきがけの結党は非自民政権誕生に至る政界再編の引き金を引くことになった。
続く第40回衆議院議員総選挙を経て成立した非自民細川連立政権に参加後、羽田政権では閣外協力に転じたものの、自民党が政権復帰した村山政権に参加し、続く橋本政権まで政権の一角を担った。中心メンバーは自民党単独以降、非自民連立政権、自さ社村山政権、同橋本政権と、性質の異なるいくつもの政権にほぼ一貫して与党として参加していたことになり、小政党ながら巧みな政界遊泳で政界再編期に強い存在感を放った。途中日本新党親さきがけ派(反小沢派)など各会派の合流を受け入れて党勢を拡大させたが、1996年頃からメンバーの離脱が相次ぎ、2002年、みどりの会議への名称変更という形で正式に解党した。
なお、この離脱過程で、多くの所属議員は旧民主党に参加した。結党時の民主党は旧社会党出身者が大半だったが、その多くがベテラン議員だったこともあり、中堅・若手の多いさきがけ出身者が中枢を担った。旧民主党が他会派を吸収する形で1998年に結党された民主党 (日本 1998-)においてもその傾向は続いた。したがって、新党さきがけは実質的に現在の民主党の母体と見ることも出来る。これらさきがけ出身者(鳩山由紀夫、菅直人、前原誠司、玄葉光一郎、枝野幸男、荒井聰、小沢鋭仁など)は2009年の政権交代後の民主党政権においても中心的な人材となっており、2人の総理大臣(鳩山、菅)を輩出した。
行財政改革の推進や環境重視の姿勢を全面に打ち出して、皇室や憲法第9条を尊重する「尊憲」を掲げ、保守政党でありながら、ゆるやかなリベラルとでも言うべき色彩を有していた。こうした特色も、現在の民主党に強く受け継がれている。
党史
- 1993年
- 1994年
- 1995年
- 第13回統一地方選挙、1995年東京都知事選挙「官権政治から民権政治への転換」を党是としていながら自治事務次官や官房副長官経験した与野党相乗り石原信雄を支持し青島幸男に敗北。同じく1995年北海道知事選挙では社会党除名された自民党・自由連合推薦伊東秀子を支持、社会党・新進党・公明・民社協会推薦の横路孝弘知事時代の副知事堀達也に敗北。道府県議会議員選挙では9議席、指定市議会議員選挙では3議席を得た。
- 7月23日 - 第17回参議院議員通常選挙で3議席を獲得したが伸び悩んだ。
- 8月8日 - 村山改造内閣発足
- 1996年
- 1998年
- 2月 財政・金融分離問題で意見の対立した田中秀征が離党し、唯一の党友となる。
- 5月31日 - 第1回党大会開催。武村が代表就任。
- 6月 - 自民党との連立を解消。環境政党としての再出発を表明。
- 7月 - 第18回参議院議員通常選挙で当選者ゼロ。
- 10月 - 党名を「さきがけ」に改称。
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 1 新党さきがけの概要
- 2 歴代の新党さきがけ常任幹事会・執行部役員表
- 3 新党さきがけ議員一覧
- 4 関連項目
固有名詞の分類
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