戦史叢書による15次に渡る船団
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「南号作戦」の記事における「戦史叢書による15次に渡る船団」の解説
戦史叢書による15次に渡る船団は、上記の船団に以下の船団を加えたものである。 ヒ90船団 加入輸送船は2隻で、永洋丸(日本油槽船:8,673総トン)には原油13,000t、錫103t、ジルコン500tを、日南丸(飯野海運:5,175総トン)には航空用ガソリン7,000t、錫を積載していた。2月15日にシンガポールを出航。船団は19日に仏印カナに仮泊。20日朝、インドシナ半島パダラン岬沖で米潜水艦ガヴィナに発見され、永洋丸の右舷側にガヴィナの魚雷が命中し沈没した。船団は一旦カナに引き返し、海防艦32号を加えてあらためて出航。同日、日南丸は雷撃されるも回避した。20日にバンフォン湾、21日にキノン湾に仮泊し23日、船団はトンキン湾を東進中にB-24の攻撃を受けるが、被害はなかった。23日に海南島後水湾、24日にデープ湾、28日に、3月3日に巨済島猪仇里湾に仮泊し4日に門司に到着した。 編制輸送船タンカー - 永洋丸、日南丸(2TM型戦時標準タンカー) 護衛艦海防艦 - 8号、32号(カナから)、52号 ヒ92船団 加入輸送船は2隻で、東城丸(大連汽船:10,045総トン)には航空ガソリン、原油16,000t、重油1,285t、錫、生ゴムを、第二建川丸(川崎汽船:10,045総トン)には航空用ガソリン7,000t、錫を積載していた。2月18日にシンガポールを出航。同日夜に東城丸が触雷し、機関損傷したが応急処置を施しそのまま航行を開始した。船団は21日にカムラン湾に仮泊し22日になり、カムラン湾を出港直後に第二建川丸がパダラン岬南西方28キロ付近で触雷沈没した。船団は22日にパダラン湾に仮泊、東城丸は機関の修理を行う。パダラン湾出港後に敵機や敵潜水艦の接触を受け、25日海南島楡林南東150キロ付近で護衛の海防艦昭南に米潜水艦ホーから発射された魚雷1本が命中し、昭南は一筋の黒煙を残して轟沈した。護衛の海防艦25号が敵潜水艦を制圧する間に船団は楡林に向かった。同地で25号と合流した船団は3月2日に汕頭沖、5日に泗礁山泊地に仮泊。8日に海防艦屋代が朝鮮西岸到達まで護衛。船団は10日に釜山港外に仮泊し、3月11日に門司に到着した。 編制輸送船タンカー - 東城丸(2TL型戦時標準タンカー)、第二建川丸(2TL型戦時標準タンカー) 護衛艦海防艦 - 昭南、屋代(8日から朝鮮半島西岸まで)、25号 ヒ94船団 加入輸送船は2隻で、東亜丸(飯野海運:10,023総トン)には油15,800tを積載していた。2月23日7時55分、ヒ94船団は海防艦63号、207号の護衛にて昭南を出港する。2月26日、タイランド湾オビ島沖に漂泊して船団会議が開かれた。インドシナ半島沿岸部にぎりぎりまで接近して航行を続け、2月28日未明にはナトラン湾に短時間停泊の後北上を再開するが、潜水艦を探知したため対潜戦闘を展開して危地を逃れた。3月1日、濃霧により東亜丸が後落、海防艦207号がこれに付き添った。3月1日に船団は楡林に入港。翌3月2日には東亜丸と途中から合流した第18号海防艦も楡林に到着して船団会議が開かれ、今後の航行ルートなどが決定された。また、第18号海防艦に代わって敷設艇「新井埼」が護衛に就く事に関して、新井埼の耐波性と船団速力の観点から異議を唱えたものの、最終的には「新井埼」の加勢が決まった。3月3日9時、ヒ94船団は楡林を出港する。楡林出港直後針尾が触雷し翌日に沈没した。船団は一旦戻ってから、5日に再び出港し、6日に大亜湾沖、7日に南澳島沖、8日に興化湾、9日に牛黒湾、13日に加徳水道に仮泊。14日に門司に到着した。 編制輸送船タンカー - 東亜丸(1TL型戦時標準タンカー)、 その他 - 給油艦針尾 護衛艦海防艦 - 18号(3月1日~楡林まで)、63号、207号 その他 - 敷設艇新井埼(楡林から) ヒ98船団 加入輸送船は2隻で、良栄丸(日東汽船:10,016総トン)には推定で1,700tの油類を、ぱれんばん丸(三菱汽船:5,236トン)にはガソリン8,800t、錫2,000t、生ゴム1,000t、邦人引揚者9名を積載していた。2月27日にシンガポールを出航。3月3日に船団はサンジャックに仮泊。ここで護衛として海防艦1号を加入。4日、インドシナ半島バレラ岬沖を航行中の船団は米潜水艦バヤに発見された。バヤもタンカー2隻を一挙に撃沈すべく船団右後方から魚雷6本を発射、良栄丸は向かってきた魚雷2本を回避し、外れた魚雷は陸岸に命中して爆発。残り4本がぱれんばん丸の機関部と船体中央部に全て命中。ぱれんばん丸は大爆発を起こし炎上、船尾が海底に着いた状態で沈没した。海防艦69号、134号はバヤの制圧に向かい。船団はダナンに入泊。5日になり、制圧を終えた海防艦69号、134号がダナンに到着。船団は濃霧の中ダナンを出港した。出港後、船団はインドシナ半島ツーラン湾沖で米潜水艦バッショーから発見され、バッショーの発射した魚雷2本が良栄丸に命中し良栄丸は船首の一部を海上に突き出したまま沈没した。船団は消滅した。 編制輸送船タンカー - 良栄丸(1TL型戦時標準タンカー)、ぱれんばん丸 護衛艦海防艦 - 1号(サンジャックから)、69号、130号、134号
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