慧日寺跡とは? わかりやすく解説

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慧日寺跡

名称: 慧日寺跡
ふりがな えにちじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 福島県
市区町村 耶麻郡磐梯町
管理団体
指定年月日 1970.12.04(昭和45.12.04)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日 昭和61.08.06
解説文: S44-5-073[[慧日寺]えにちじ]跡.txt: 慧日寺は、法相宗徳一創建したもので、民間信仰、ことに山岳信仰密接な関係をもち、磐梯山奥院として成立したものと考えられるその後会津一円支配し僧兵集団保持し封建領主としての権力そなえた平安末期から鎌倉時代にかけてのころ、密教化-[[修験]しゅげん]化の方向をたどり、鎌倉末期から室町時代にかけて磐梯修験強力な結びつきをもったと思われる16世紀後半伊達・葦名の合戦の際、兵火にかかり若干堂宇を残すのみとなった
 旧寺域は、ほぼ一町で、塔跡等には礎石遺存し、金堂跡には磐梯神社建っているほか、戒壇跡と称されている墳丘状の遺跡徳一廟も残っている。
S61-5-42〓(※1)日寺跡※1.TXT: 平安時代初期徳一草創するところという〓(*1)日寺は、磐梯山信仰密接な関係をもちながら、次第密教化し磐梯修験霊場として名を馳せるようになった考えられるが、最近磐梯高原一帯観光開発の波が押し寄せて出したほか、昭和59年度より史跡指定地の四周圃場整備事業が行われ出したため、磐梯町教育委員会は、遺跡踏査密度高め一方、必要箇所発掘調査意を用いている。今回その成果一部反映させるため、
(1)史跡〓(*1)日寺跡東北1・7キロメートル古城南麓で、礎石石積み遺存している地
(2)通称戒壇跡の南で、礎石建物跡・掘立柱建物跡検出された地
(3)指定地中心部の北・南西北東部遺跡広がっていると考えられる
の3か所を追加指定する
 永正の『恵日寺絵図』より推せば、(1)観音寺跡、(2)常行寺跡または花輪寺跡ではないか思われ(3)を含む寺院中心部の既指定地と一体として保存を図るものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  愛宕山古墳  慈光院庭園  慈照寺  慧日寺跡  戌立石器時代住居跡  手宮洞窟  払田柵跡



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