惣年寄の職務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/02 02:07 UTC 版)
大坂三郷の町政は、惣年寄が実務を担当し、各町の町政を惣年寄に属する町年寄が取り行っていた。 惣年寄の職務は、町奉行から伝達された触書・口達の下達、御用日の町奉行所への出仕と郷内の事項上申、諸役徴収と地子銀・地代銀・運上銀の上納、町年寄・町惣代・船惣代の任免・監督、火消人足の指揮、公事訴訟の調査上申、宗旨人別改めの管理、諸職仲間の人別調査など、町政全般にわたり、万治元年(1658年)には三郷内の酒造米の調査も業務に加えられた。また、将軍が大坂に来訪する時には、町の清掃・警備、町宿の選定も行った。城代や大坂町奉行所からの触は惣年寄たちに伝えられ、惣年寄はそれぞれの惣会所で町年寄や惣代に伝達することになっていた。 彼らは惣会所に詰めて、月番で勤務し、ある程度の自治的な行政を行った。惣年寄の補佐として、公用事務を処理する惣代・これを補佐する手代・書類の作成に従事する物書・会所の書類を保管する会所守(かいしょもり)などが置かれた。彼らを雇う給銀(給金)は町々の負担であった。
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惣年寄の職務
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惣年寄は名誉職であり、世襲で役料役米は一切なく、三惣年寄の下には、各町ごとに町年寄を置き、各町内の事務や町場における商業上の公事、家宅の売買・質入れ、町の入費の割賦徴収などを処理させた。この町年寄は惣年寄のように固定していないが、これも無給で、一般の組頭の上に立つものであった。町代は初め月行事の名で呼ばれていたが、1ヵ月交替で勤務し、一般村の庄屋に相当する仕事を行い、その下には肝煎があって職務に当たっている。環濠には9つの門を番人が警備し、親戚以外の者を町内に泊めることを禁ずるなど、町独自の掟も決められ、自治自衛が徹底された。
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