律令制のもとでの詔書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 00:29 UTC 版)
秦の始皇帝の時に定められた詔は、日本の律令にも取り入れられた。律令制においては、公式令(くしきりょう)に詔書の書式が定められていた。重要事項の宣告に用いられ、天皇は署名せず、草案に日付を書き(御画日)、成案に可の字を書いた(御画可)。また、公卿全員の署名を必要とした。詔書は天皇と公卿全員の意見の一致が必要であり、手続きが煩雑なため、即位、改元など儀式的な事項にのみ用いられるようになった。 中務省の内記が草案を作成し、天皇が一旦それに日付を加える(御画日)。 中務省の責任者3名(卿・大輔・少輔)が内記の記した官位姓の下に自署を行い、それぞれの下に「宣」「奉」「行」の一字を記す。これを「案文」と称する。 案文の複製を「成案の草案」として作成して再度中務省の責任者の署名を加えて天皇御璽(内印)を押印した後に太政官に送付し、今度は外記が大臣・大納言の官位姓を記して日付を加える。 草案は、天皇への奏請の一文とともに太政官の会議にかけられて太政大臣以下の大臣・大納言の自署を加えた後に大納言が天皇にこれを覆奏する。 天皇は覆奏された草案の年月日の横に「可」の字を記入する(御画可)。ここで成案の草案は正式な詔書となる。 更にこれの複製を作成するとともに弁官によって詔書の実施を命じる太政官符が作成される。ここで詔書の内容が宣命として口頭で伝達される(誥)とともに太政官符が交付されて詔書が発効するのである。
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