当麻曼荼羅厨子とは? わかりやすく解説

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当麻曼荼羅厨子

主名称: 当麻曼荼羅厨子
指定番号 233
枝番 00
指定年月日 1961.04.27(昭和36.04.27)
国宝重文区分 国宝
部門種別 工芸品
ト書
員数 1基
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品
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工芸品:  小太刀  小桜韋威鎧  小桜韋黄返威鎧  当麻曼荼羅厨子  彩絵桧扇  志野茶碗  懸守

当麻曼荼羅厨子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 06:33 UTC 版)

當麻寺」の記事における「当麻曼荼羅厨子」の解説

国宝8世紀末から9世紀初頭の作。本堂曼荼羅堂内陣には高欄付の須弥壇構えその上に高さ501センチメートル大型厨子を置く。厨子仏像ではなく当麻曼荼羅安置するためのものであるため、高さの割に奥行浅く平面形は扁平な六角形をなす。須弥壇螺鈿木目塗仕上げられ上框寛元元年1243年)の銘がある。また、厨子正面の扉は、仁治3年1242年)の銘がある。このためかつては厨子本体鎌倉時代の作と考えられていた。しかし、本堂解体修理合わせ厨子解体修理行われ1957年 - 1961年)、表面からは見えない天井板等の部材から金銀泥絵きんぎんでいえ)や金平文(きんひょうもん)の装飾発見され、その技法意匠から、厨子本体平安時代初期さかのぼ作品であることが明らかになった。軒裏には金平文で含綬がんじゅちょう)、孔雀天人宝相華などを表した痕跡があり、台輪支輪天井板などには金銀泥絵宝相華飛雲花喰鳥山岳日輪などの文様表している。根巻金具台輪の間にある木心乾漆製の獅子形(10箇)なども古様を示すものである厨子正面の扉(左右3枚ずつの折戸)は、仁治3年1242年)に厨子大修理行った際に新調したもので、内面側は黒漆地に金蒔絵蓮池表し、その下には2,000名を超える結縁者の氏名がやはり蒔絵表されている。なお、この扉は取り外され奈良国立博物館寄託されている。 前述のとおり、本品製作年代8世紀末から9世紀初頭とされているが、奈良国立博物館内藤栄は、本厨子見られる金銀泥絵草花文やの地付部の金銅金具線刻山形文を正倉院宝物同種の文様比較検討した結果、本厨子製作年代奈良時代後期760年代推定している。

※この「当麻曼荼羅厨子」の解説は、「當麻寺」の解説の一部です。
「当麻曼荼羅厨子」を含む「當麻寺」の記事については、「當麻寺」の概要を参照ください。

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