引退・廃業
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1991年7月場所では、東前頭14枚目の地位で15戦全敗を喫し(先場所の負けも含めると、18連敗となる)、翌9月場所は十両へと陥落(幕内皆勤全敗は、これ以降現在(2021年9月場所後)まで誰も記録していない)。この9月場所中に途中休場し廃業を表明した。初土俵・新十両・新入幕・廃業がすべて同じ9月場所でのことだったという、珍しい経歴を残している。 当初は現役を引退し、年寄・春日山を借株で襲名する意向であったが、日本相撲協会が年寄襲名の申請を却下したため廃業せざるを得ない事態となった。なぜ協会が年寄襲名を認めず廃業させたかについては、「土俵上のマナーが悪かったから」、「廃業後、物議を醸した八百長相撲の主犯格として協会から目をつけられていたから」、「『15戦全敗』 という無様な成績を記録したから」といった憶測が流れたが、その真相は現在でも謎のままである。板井自身は呼び出された理事会にて「10年間で2度しか巡業に参加していない」ことが却下の主たる理由だと告げられたとしている。その後、廃業力士としては異例の、国技館の土俵上においての断髪式を行った。本人は八百長の中盆をしていたことが年寄襲名却下の理由であることは明白だと認識していたが、協会は両国国技館での断髪式を認めた理由を「力士会がやることだから」としており、板井は「協会も後ろめたかったのか」とその理由を推測していた。 本人は、週刊ポストの取材に「当時3億円といわれた年寄株を取得してまで協会に残る気持ちはなく、星を回してもらいながら40歳までノラリクラリ現役を続けるつもりだった。そうしたところに、かわいがってくれていた元・大昇から“年寄株がないと引退相撲もできないだろう。オレの『春日山』(当時は空き株)を貸してやるから引退相撲をやれ”と声を掛けてもらった。これで引退に気持ちが大きく傾いた」と証言していた。 廃業後は一時、東京都江戸川区、千葉県浦安市、千葉県東金市で相撲料理の店を経営した。「ちゃんこ屋経営で難しいのは、夏場に客足が落ちること。冷やしちゃんこであるとか限定メニューを考えたが、私の店では見向きもされなかった。立地も微妙で、両国界隈だと東京開催場所中は繁盛するが、1月、5月、9月の年3か月で1年分を稼ぐぐらい売り上げないと厳しい」「現役時代の番付とちゃんこ屋の人気は別物ですよ。有名力士は化粧まわしを飾ったりして客寄せにできる部分はあるが、出世したぶん部屋でちゃんこ番なんてやったことがないから、味付けを考えたりできないわけです」と、後にちゃんこ店経営で苦労したことを語っている。その後、八百長問題を告発するなどして食いつないでいたが、間もなく誰にも相手にされなくなり2008年には、「ガラス工をしている」と語っていた。2011年2月の大相撲八百長問題と前後して音信不通となり、安否が掴めていなかったが、2011年2月27日放送のたかじんのそこまで言って委員会に顔にモザイクを入れて出演し、病気によりやせたと語った。2015年12月にはシンガーソングライターで相撲甚句を担当する北脇貴士がパーソナリティを務めるFM西東京のラジオ番組「北脇貴士の大相撲甚句」の最終回に出演し、実業団の星と謳われた板井のアマチュア時代の話、大鳴戸との確執、その他にも視聴者から寄せられたメールを中心に質疑応答が繰り広げられた。板井が北脇の番組に出演した事実については北脇のブログに写真付きで掲載されている。2017年5月には週刊誌でちゃんこ店についての論を展開していた。 晩年は糖尿病や高血圧などの持病に苦しみ、心臓にペースメーカーを埋め込んでいることもあり働くことができず、現役時代の付け人が板井の世話をしていた。2018年8月14日、東京都内の自宅で倒れているところを元付け人により発見され、その後死亡が確認された。62歳没。
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