道鏡
弓削道鏡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 02:38 UTC 版)
聖武天皇の出家(神⇒仏)、孝謙太上天皇の再即位(仏⇒神)など神仏混交が進み天皇の地位が変質するなか、孝謙天皇(称徳天皇)の看病禅師として宮中に入り、寵愛されるようになっていた道鏡は、天皇に準ずる法王に即位し、家政機関も設置されるなど事実上の女帝との共同統治者となり仏教事業や神祇を司った。更に二人の二頭体制によって皇太子を経ず形式的に天皇に即位すべく準備が行われた。間もなく女帝が死去した為実現しなかったとされる(宇佐八幡宮神託事件)。道鏡は神託を否定するが、下野の薬師寺造寺別当として左遷された。 もっとも、この事件は「道鏡が皇位を狙った」事件ではなく、女帝が「(皇族ではない)道鏡に皇位を譲ろうとした」事件とする見方もある。また、この事件を記した『続日本紀』が、女帝の死によって皇位継承権を得た光仁・桓武両天皇時代の著作で、その正当性の誇示を目的に執筆されたとも言われているため、留意する必要がある。
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