弁官
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弁官(べんかん、辨官)は、朝廷の最高機関、太政官の職である左大弁(さだいべん)・右大弁(うだいべん)・左中弁(さちゅうべん)・右中弁(うちゅうべん)・左少弁(さしょうべん)・右少弁(うしょうべん)の総称である。唐名(漢風名称)は尚書。通説においては四等官の中の判官(じょう)に相当するが、異説として弁官を含めた弁官局を太政官の別局として捉え、元は本来の四等官の系列には含まない品官であったする説もある[1]。また、『延喜式』においても、季禄・時服・馬料・要劇料などの給与の支給手続やそのために必要な上日の集計・考文の送付などが太政官とは別個に行われ、人事・財政体系における太政官からの独立性が確認できる[2]。
- ^ 森田悌、『日本古代律令法史の研究』第二部第一章第二節 太政官制と政務手続、文献出版、1986年
- ^ 大隅清陽、『律令官制と礼秩序の研究』第一部第一章 弁官の変質と律令太政官制、吉川弘文館、2011年
- ^ 佐藤進一、『日本の中世国家』第一章第二節 官司請負制、岩波書店、1983年
- ^ 有富純也、『日本古代国家と支配理念』第一部第二章 神祇官の特質、東京大学出版会、2009年
- ^ 平安時代中期の源昇のように左中弁在任中に参議に任ぜられるも、左中弁を元の如く兼帯し続けた例もある(『公卿補任』)。
- ^ 『公卿補任』
- ^ 『近衛府補任』(続群書類従完成会)
- ^ 『公卿補任』
- ^ 井原今朝男、『室町期廷臣社会論』第一部第三章 廷臣公家の職掌と禁裏小番制、塙書房、2014年
弁官局
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弁官の下には史(左大史・右大史・左少史・右少史)や使部・官掌・史生・直丁などが属して左右の弁官局を構成する。議政官(大臣・大納言・中納言・参議)の下で太政官の実務を担う枢要の部署であり、少納言局と合わせて太政官三局という。 大史は正六位上、少史は正七位上相当であった(同官位令)が、鎌倉時代までに左大史上首が五位に昇る慣例ができ、大夫史と呼ばれた。 大少史は、受領した公文の記録、起案文の作成と署名、公務の遅滞や過失の調査、公文の読申を所掌した(同職員令)。その他の史生、官掌、直丁らは、官位相当対象外の雑任官であり、文書筆写や訴人案内などの雑務に従事した。定員は左右の大史・少史各2名、史生10名、官掌2名。 弁官局で実際に実務を運営したのは大少史であり、特殊技能である算道、文書作成の慣行に関する知識が求められることから、専門職として一体意識が醸成され、大少史の筆頭である左大史上首が大少史を統括する弁官局の主催者となった。 10世紀末に小槻奉親が左大史に補任されて以来、小槻氏の嫡系は代々左大史に昇った。12世紀ごろには小槻氏が左大史を独占する人事が定着した。弁官局を主宰する左大史は官務と呼ばれ、官務を世襲する小槻氏は官務家と称されるようになった。
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