平安道とは? わかりやすく解説

平安道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/13 06:23 UTC 版)

平安道(へいあんどう、평안도、ピョンアンド)は、李氏朝鮮の行政区分・朝鮮八道の一つ。主要都市の平壌安州から取って名付けられている。高麗時代から李氏朝鮮初期には西北面と呼ばれており、太宗13年(1413年)に平安道と改名された。1896年平安北道平安南道に分割された。東を咸鏡道と接し、南を黄海道と接し、西は黄海に面し、北は中国と国境を接していた。




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平安道

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朝鮮料理」の記事における「平安道」の解説

麺類では、小麦生産さかんな南部カルグクス発展したのに対しソバジャガイモ生産さかんな北部では冷麺発展したソバの実を使った麺を冷麺といい、ソバの殻を使った麺をマッククスという。北部冷麺にも地方ごとにさまざまな特色があるが、とりわけ有名なものが平壌冷麺である。この平壌冷麺開城湯飯そして全州ビビンバ3つが、李氏朝鮮時代三大料理とされる冷麺スープに大同江使われ、その水のおいしさ冷麺の味の秘訣とされる。冬に食べ冷麺の味が最高とされ、「以冷治冷(イネンチネン)」すなわち冷たさ寒さ治め食べ物とされた。1920年代にはすでに平壌市内冷麺を売る店があり、麺だけ買って家でスープをかけて食べられることも多かった韓国には、朝鮮戦争によって北側から南側移り住んだ人々冷麺店を次々始めたため、急速に広まった。現在でも、韓国冷麺店では郷土懐かしむ北部訛り人々が集まるという。平壌で最も有名な冷麺店は「玉流館」であり、料理人三百人、一日一万食を売るという大店舗である。脱北者によると「玉流館」で食事をするのは軍や党の幹部以外一般庶民にとって容易ではなく職場食券配給を受ける必要があったという。食券のない者は朝から当日券のために並ぶ必要があり、そのためのダフ屋もいた。1999年、「玉流館」がソウル支店出店して話題となったものの現在は閉店している。北朝鮮味付け淡白薄味好まれるとされ、この平壌冷麺拍子抜けするほどあっさりしたスープの味が本物に近いという。玉流館修行経験がある料理人2000年脱北し、現在、ソウル玉流館レシピ作る平壌冷麺の店を経営している。

※この「平安道」の解説は、「朝鮮料理」の解説の一部です。
「平安道」を含む「朝鮮料理」の記事については、「朝鮮料理」の概要を参照ください。

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