常呂遺跡
名称: | 常呂遺跡 |
ふりがな: | ところいせき |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 北海道 |
市区町村: | 常呂郡常呂町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1974.03.12(昭和49.03.12) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 平成14.09.20 |
解説文: | S48-05-127[[常呂]ところ]遺跡.txt: オホーツク海岸に沿って常呂川の河口からサロマ湖西岸へと続く幅約300メートル、長さ約2.7キロの砂丘上に所在し、擦文文化期・オホーツク文化期を中心とする2000基以上の竪穴住居跡および墳墓と考えられる多数の小形竪穴がある。 東北地方北部から北海道の各地では、しばしば竪穴が埋没しきらずに地上に大小のくぼみを残しているが、本遺跡はこのような竪穴群のなかでも最大の規模と密度をもつ一つとして注目される。 |
常呂遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 22:17 UTC 版)
常呂遺跡(ところいせき)は、北海道北見市(旧常呂郡常呂町)にある擦文文化期およびオホーツク文化期にかけての複合遺跡[注釈 1]。国の史跡に指定され[3]、常呂川河口遺跡墓坑出土品は国の重要文化財に指定されている。
注釈
- ^ 擦文時代は、本州の奈良時代・平安時代・鎌倉時代に相当し、擦文土器が広く用いられ、鉄器使用の広がりが全道的に確認できる金属器時代である[1]。オホーツク文化は、3世紀ころから13世紀にかけてオホーツク海沿岸から樺太・千島の地域にみられる文化で、その後期には一部擦文文化と並行する北方海洋民族の文化である[2]。特に土器装飾、建物形態、墓制などにおいて、擦文文化とは異なるきわだった特徴を有する[2]。
- ^ 旧石器時代の遺跡として岐阜第二遺跡、縄文・続縄文の遺跡としてトコロチャシ跡遺跡、トコロ貝塚、常呂川河口遺跡などがあり、縄文以降の遺跡は他時期にも営まれた複合遺跡となっている[6]。「ところ遺跡の森」は、北海道地方のなかでも独自の歴史を歩んだオホーツク地域の文化の変遷を、発掘調査によって出土した考古資料を実見することで学習できる施設となっている[6]。
- ^ ワッカ原生花園は、2001年10月、北海道遺産に選定されている[7]。
出典
- ^ ところ遺跡の館展示案内「擦文時代」 - ところ遺跡の館
- ^ a b ところ遺跡の館展示案内「オホーツク文化」 - ところ遺跡の館
- ^ a b 常呂遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 文化審議会の答申(国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定等)について(文化庁報道発表、2022年11月18日)。
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- ^ a b c ところ遺跡の森展示案内「常呂の遺跡の特色とその時代」 - ところ遺跡の森
- ^ 「北海道遺産 ワッカ原生花園」 - 北見市公式サイト
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