やまじ‐あいざん〔やまぢ‐〕【山路愛山】
やまじあいざん 【山路愛山】
山路愛山
山路愛山
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山路 愛山(やまじ あいざん、元治元年12月26日(1865年1月23日) - 大正6年(1917年)3月15日)は、日本の明治から大正初期に活躍した評論家、歴史家。本名は彌吉。愛山はその号である。初め如山と号したが、静岡の愛鷹山に由来する愛山の名は明治20年(1887年)頃から用いられた。
- ^ 山路平四郎「山路愛山「懐旧録」解題」『国文学研究』第30巻、早稲田大学国文学会、1964年10月、142-151頁、hdl:2065/42492、ISSN 0389-8636、CRID 1050001202487827072、2023年8月2日閲覧。
- ^ 岡利郎「明治日本の「社会帝国主義」」『年報政治学』第33巻、日本政治学会、1982年、111頁、doi:10.7218/nenpouseijigaku1953.33.0_107、ISSN 05494192、CRID 1390001205380710784、2023年8月2日閲覧。
- ^ honto “山路平四郎”の紙の本一覧 著者紹介2023年7月22日閲覧。
- ^ a b c 静岡教会一二五年史. 日本基督教団静岡教会. (2009年7月31日). pp. 43-44
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)335頁
- ^ 三男平四郎が『基督教評論・日本人民史』(岩波文庫)に添えた校注の中に記されている、p.382。
- ^ a b 陳璐 (CHENLU)「北村透谷における文学と社会 : その接点と距離」『東京外国語大学日本研究教育年報』第21巻、東京外国語大学日本専攻、2016年、55-72頁、ISSN 2189-311X、NAID 120006356910。
- ^ 人生に相渉るは何の謂ぞ - 青空文庫
- ^ 岡部隆志「近代の発生・北村透谷論-「人生相渉論争」を読む-」『明治大学日本文学』第16号、明治大学日本文学研究会、1988年8月、6-19頁、ISSN 0289-2995、NAID 120001441461。
- ^ 坂本「山路愛山」
- ^ 「史学論」1900年(明治33年)
- ^ 山路愛山『日本人民史』(1966年)
- ^ 山路愛山『韓山紀行』72ページ(岩波書店、1964年)
- ^ 李英淑『いくつもの日本』254ページ
- ^ 『支那論』(民友社、1916年)
- ^ 「独語」1891年(明治24年)9月
- ^ 「大石内蔵介」1893年(明治27年)
山路愛山
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一方、1916年に山路愛山は内藤説に反論した『支那論』を執筆し、郷党・父老を中国の市民階層とみなす内藤説を否定して、中国に市民階層・中流階層が十分育っておらず、また長い間中国のみで彼らが知る全世界が構成出来たことが、民衆において権利に対しても国家に対しても自覚が乏しいことが、中国において革命が進展しない原因の最大のものであり、孫文の考えには好意的であるものの、時代的に余りにも早すぎてその行動は単なる「吠える犬」に過ぎないと批判した。その上で、庶民が自覚して士大夫層と対立するようになるまでは、皇帝政治を継続させてでも国の統一を維持する必要があり、それが共和革命実現への早道と論じ、分割論を牽制している。
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