国際連合安全保障理事会決議687
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国際連合安全保障理事会決議687(こくさいれんごうあんぜんほしょうりじかいけつぎ687、英: United Nations Security Council Resolution 687)は、1991年4月3日に国際連合安全保障理事会で採択されたイラク・クウェート情勢に関する決議。略称はUNSCR687。
- 1 国際連合安全保障理事会決議687とは
- 2 国際連合安全保障理事会決議687の概要
- 3 関連項目
安保理決議687
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「イラク武装解除問題」の記事における「安保理決議687」の解説
1991年に行われた湾岸戦争はイラクがクウェートに侵攻したことがはじまりであり、国際連合安全保障理事会決議660・678を根拠として結成された多国籍軍によるイラクへの攻撃により、イラク側が敗れたものである。 国際連合安全保障理事会は国際連合安全保障理事会決議687においてイラクとの和平条件を提示した。これにはクウェートからの撤退とともに、核兵器、生物兵器、化学兵器などを含む大量破壊兵器を破棄し、研究・開発プログラムや製造設備なども廃棄することが定められ、その手続きをIAEA(国際原子力機関)や新たに創設されるUNSCOM(国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会)によって監視するというものであった。 イラクは湾岸戦争に先立つイラン・イラク戦争(1980年-1988年)においてマスタード・ガス、神経ガスなどをイランや自国民のクルド人に対して使用したとされる(ただし、クルド人に対する使用は一般に言われるイラク使用説のほかにイラン軍使用説も出ており、真相は明かされていない)。また、湾岸戦争中にも化学兵器や生物兵器をミサイルに装填したとされる。ただし、アメリカが核兵器使用をほのめかす警告をしたため、使用には至らなかった。またバビロン計画による多薬室砲(スーパーガン)の研究も行っていた。またIAEAは、イラクが複数のウラン濃縮技術の実験を行っていたと結論づけた。 武装解除が行われていることを確認するためにUNSCOMとIAEAの専門家チームがイラクに滞在し、関連の技術者に対するインタビュー、貯蔵、製造に関わると考えられる施設への訪問調査などを行った。これらは武器査察団と呼ばれ、生物兵器や化学兵器を含む大量破壊兵器についてはUNSCOMが、核開発についてはIAEAが担当した。
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