奈良時代~平安時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 09:48 UTC 版)
万葉仮名の時代や平仮名・片仮名の誕生初期には、文字でも「e」と「ye」を区別していた。 万葉仮名では以下のように使い分けた。 e愛、哀、埃、衣、依、榎、荏、得 可愛(2字1音) ye延、曳、睿、叡、盈、要、縁、裔、兄、柄、枝、吉、江 平仮名では以下のように使い分けた。 e(未掲載) ye 他 片仮名では以下のように使い分けた。 e 他 yeエ 他 発音上の区別がなくなると、これらは異体字の扱いになった。
※この「奈良時代~平安時代」の解説は、「や行え」の解説の一部です。
「奈良時代~平安時代」を含む「や行え」の記事については、「や行え」の概要を参照ください。
奈良時代・平安時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/06 14:10 UTC 版)
掘立柱建物の跡が確認されており、大きな建物が存在していたようである。焼き物の硯も出土しており、役所跡ではないかと推察されている。また、近畿地方で作られた緑釉陶器が出土している。
※この「奈良時代・平安時代」の解説は、「門田貝塚」の解説の一部です。
「奈良時代・平安時代」を含む「門田貝塚」の記事については、「門田貝塚」の概要を参照ください。
奈良時代・平安時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 14:29 UTC 版)
美濃国は、奈良時代から国府の所在地(現:垂井町)を中心に揖斐川流域で、製紙が盛んで、良質の紙を生産していた。古くは702年(大宝2年)の正倉院文書に美濃の紙が記録されている。 平安時代には、朝廷から製紙用の役人が派遣されて、宣命紙などの色紙や公用紙を生産した。
※この「奈良時代・平安時代」の解説は、「美濃和紙」の解説の一部です。
「奈良時代・平安時代」を含む「美濃和紙」の記事については、「美濃和紙」の概要を参照ください。
奈良時代・平安時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 10:09 UTC 版)
和銅6年(713年)4月3日に丹波国の北部、加佐郡、与謝郡、丹波郡(後の中郡)、竹野郡、熊野郡の5郡を割いて、「丹後国」として設置された。『続日本紀』には「丹波国の五郡を割きて始めて丹後国を置く」と記され、『和名類聚抄』には35郷が記されている。大浦半島の付け根に位置する志楽谷(現在の舞鶴市志楽)は、遅くとも分国前の和銅2年(709年)には丹波国に属していたが、北東部の田結(同・田井)など半島の大部分は奈良時代(710年 - 794年)前期まで若狭国に属していたことが分かっている。 分国以前から、丹波国では丹波直(たんばのあたい)一族が国造や郡司など支配的地位を有していた。『先代旧事本紀』天孫本紀によれば、丹波直は天火明命を祖としている。分国後の丹後国では延暦2年(783年)に丹波直真養が丹波郡国造に、貞観8年(866年)に丹波直副茂が近衛府の下級将官に任じられた。
※この「奈良時代・平安時代」の解説は、「丹後国」の解説の一部です。
「奈良時代・平安時代」を含む「丹後国」の記事については、「丹後国」の概要を参照ください。
- 奈良時代~平安時代のページへのリンク