天塚古墳とは? わかりやすく解説

天塚古墳

名称: 天塚古墳
ふりがな あまつかこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 京都府
市区町村 京都市右京区太秦松本町
管理団体
指定年月日 1978.03.03(昭和53.03.03)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S52-06-014[[天塚古墳]あまづかこふん].txt: 丹波山中発する保津川山城盆地流れこみ、桂川となる。この桂川左岸京都市街地西部には、嵯峨野広がっている。ここには古墳時代後期集中して大規模な前方後円墳等が営まれており、嵯峨野・[[太秦]うずまさ]古墳群としてその特色注目されている。天塚古墳は、この古墳群中でも史跡蛇塚古墳に次ぐ規模をもつ前方後円墳で、蛇塚古墳の東約1キロメートル所在する
 古墳前方部を南に向けて営まれ2段築成の墳丘をもち、かつて周囲には約20メートル余の幅の周濠存在したことが古い地籍図により認められる墳丘全長は約73メートル後円部径約40メートル、高さ約9メートル前方部の幅約50メートル、高さ約9メートルあり、前方部発達した形態である。後円部には2基の横穴式石室設けられている。明治20年頃に開口して、馬具銅鏡等の出土品があったと伝えられていて、出土品墳形等よりみて6世紀代に属す古墳であることが判明している。
 本古墳は、全国的にみても後期前方後円墳集中して営まれ古墳群として著名な太秦古墳群構成する古墳であって、この地域首長系譜をもつ有力者の墓と考えられるのである。この地に繁栄したとされる秦氏消長考え上でも、重要な遺跡である。
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  大高城跡  大鶴巻古墳  大鹿窪遺跡  天塚古墳  天王山古墳  天白遺跡  天皇の杜古墳

天塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/26 12:58 UTC 版)

天塚古墳(あまづかこふん[1][2]/あまつかこふん[3])は、京都府京都市右京区太秦松本町にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。




「天塚古墳」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「天塚古墳」の関連用語

天塚古墳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



天塚古墳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの天塚古墳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS