大阪万博と上海万博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 23:15 UTC 版)
「上海国際博覧会」の記事における「大阪万博と上海万博」の解説
大阪万博と上海万博との類似性を強調するのが自身が大阪万博の開催を主導した堺屋太一である。堺屋によれば、大阪でも上海でも、 工業力による会場および都市づくり 大量の観客を円滑に運ぶ管理能力 全世界からの出展者をむかえる外交的成果 の3点を内外に披露し、「近代工業社会」を誇示する点で類似しており、そこでは生活の質や生活様式、人びとの消費行動や行動様式が大幅に変化することが期待されている。また、堺屋は上海万博は「近代工業社会の最大にして最後のイベントになるだろう」と予言し、中国人の消費のレベルをあげ、生活の質を向上させる変化の起爆剤になれば万博は成功だとしている。ただし、上海万博閉幕ころにはバブル経済が弾けて中国経済全体が落ち込む可能性があり、テイクオフののちには中国が「世界標準」を主張する可能性が少なくないとしている。 朝日新聞編集委員の外岡秀俊も、万博の歴史に新たなページをひらいたのは1970年の日本であったとしている。フランスでは革命により王室を失い、代わって国民統合の象徴としての意味を担わされたのが産業振興であり、産業博覧会であった。20世紀にフランスに代わって万博を主導したのはアメリカ合衆国であったが、そこにも国民統合の意味合いがあった。外岡は、吉見俊哉東京大学教授のことばを引用しながら、そこに新しくアジアの「成功物語」をもちこんだのが日本であり、1964年の東京オリンピックから1970年の大阪万博までの流れは、韓国における1988年のソウルオリンピックから1993年の大田国際博覧会、そして、中国における2008年の北京オリンピックから2010年の上海万博への流れというかたちで受けつがれたと論じている。
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