大石氏
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大石氏(おおいしし)は、日本の氏族。清和源氏義仲流(血統は藤原北家秀郷流とも)と称した信濃国佐久郡大石郷の大石氏は室町時代に関東地方で活躍し、戦国時代には武蔵国の守護代となる。
注釈
出典
- ^ 福島県伊達市公式web「だて市政だより2009年」より『名所旧跡を訪ねて』「第6回 上杉ゆかりの文化財(4). 保原城(保原地区)」(2013.7.8)
- ^ 『講談社日本人名大辞典』(講談社、2001年)
- ^ 齋藤慎一「戦国期『由井』の政治的位置」(初出:『東京都江戸東京博物館研究報告』第6号(2001年)/所収:齋藤『中世東国の道と城館』(東京大学出版会、2010年)第13章)
- ^ 黒田基樹『戦国北条家一族事典』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-289-6 P65.
- ^ 加藤哲「後北条氏の南武蔵進出をめぐって」『戦国史研究』6号(1983年)/所収:浅倉直美 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第三一巻 北条氏照』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-377-0 2021年、P214-219.
- ^ 泉岳寺 鎌田豊治「大石家の墓」(「忠臣蔵史蹟辞典」2008年、中央義士会)。
- ^ 本田伸「元禄赤穂事件の周辺」(『東京と青森』2021年4月号)
- ^ 大石良饒『大石家系図正纂』には山鹿校尉(津軽正方)や佐藤帯刀ら、弘前藩の山鹿系重臣の悪口「奸佞邪曲ノ者」などと書かれている。
- ^ 『中央義士会報』(2021年)10ページ
- 1 大石氏とは
- 2 大石氏の概要
- 3 柳川大石氏(大石神影流)
- 4 脚注
大石氏
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南北朝時代には、上杉憲顕・能憲に仕えていた信濃国の大石信重が1352年(南朝:正平7年、北朝:文和元年)の碓氷峠の戦いなどの戦功によって1356年(南朝:正平11年、北朝:延文元年)に入間・多摩両郡内に十三郷を与えられ武蔵国目代職に補任され、以後大石氏の支配下に入る。 戦国時代、大石氏は河越合戦における敗北をきっかけとして北条氏の軍門に降り北条氏康の次男氏照を養子に迎えて滝山城を北条氏に譲ることにより秋川及び多摩川中流域が北条氏の支配下に移ることとなる。
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