多目的ダムの登場とは? わかりやすく解説

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多目的ダムの登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 17:45 UTC 版)

ダム」の記事における「多目的ダムの登場」の解説

水力発電ダム横断面 発電用水車及び発電機 治水目的としたダム建設されると、今度治水利水双方機能組み合わせた多目的ダムの建設志向されるようになった。既に731年日本において僧・行基治水灌漑目的とした昆陽池建設していたが、理論自体提唱されていなかった。多目的ダム理論提唱したのは1889年プロイセンのオットー・インツェ(ドイツ語版)が最初であり、それを1902年にマッテルンが経済性技術的理論結合した形で体系化した。こうしたプロイセン治水・利水理論1913年プロイセン法として纏められた。これは治水利水総合的に運用する法整備として近代における河川関連法規模範ともされその後1918年スウェーデン法、1919年フランスにおける利水関連法規1920年アメリカ連邦水力法、1934年オーストリア法など諸外国多大な影響与えたこうした多目的ダムによる治水・利水総合的な運用は、河川総合開発事業として発展する至った一つ河川ダムをはじめ用水路水力発電所建設し治水灌漑水道供給発電を行うことで農業工業生産力の向上を図り雇用安定化させ国力高めることを最終目的にした事業であり、流域広範囲亘って大規模に実施された。特にアメリカにおいては金融恐慌の後、雇用拡大工業生産力向上を目指し大河川の総合開発開始した1936年にはコロラド川当時としては世界最大級のフーバーダム完成させ、さらに大統領フランクリン・ルーズベルトミシシッピー川支流テネシー川多数ダム建設して洪水調節水力発電を行うテネシー川流域開発公社TVA)を設立ニューディール政策一環として総合開発行った。 このTVA成功諸外国刺激し第二次世界大戦前後して各国河川総合開発加速した代表的なものとしてはソ連五カ年計画に基づくエニセイ川ブラーツクダムクラスノヤルスクダムなど)、ヴォルガ川ドニエプル川総合開発インドにおけるダモタル川総合開発事業オーストラリアにおけるスノーウィーマウンテン総合開発事業などがある。日本では1938年昭和13年)に物部長穂が「河水統制計画案」として提唱しその理論戦後打ち続く洪水対処するため利根川淀川など主要7水系において「河川改訂改修計画」の策定つながり利根川上流ダム群などの大規模河川総合開発が行われた。

※この「多目的ダムの登場」の解説は、「ダム」の解説の一部です。
「多目的ダムの登場」を含む「ダム」の記事については、「ダム」の概要を参照ください。

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