増村監督のしごき
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増村保造は元々俳優に厳しく毒舌家の監督であったが、三島に対するしごきはさらに激しく、容赦なくズバズバと下手な演技を貶した。そのしごき方は全く手加減などなく、三島が有名作家だからといってお客様扱いや旦那芸として見逃すという甘い考えは増村にはなかった。監督を引受けたからには、同級生の三島が世間から笑われないような芝居にしなければ駄目だと、増村監督は見かねた藤井浩明にも言っていた。 しかしながら、その演技指導のやり方はスタッフの予想をはるかに上回り、「いじめ」や「いびり」にも見えた。新人として丁寧に挨拶をし、撮影現場でも腰を低くしている三島に対し、演技が下手だからといって、生活能力や身体能力を否定するかのようなパワハラの酷い暴言を増村監督は浴びせていた。 「俺はあいつと同級生だからあれくらいやったんだ」って言うけど、そうじゃなくても増村はかなりうるさいですからね。「三島さん、何ですか! その芝居は!」って感じで。「三島さん、あなたのその目はなんですか? 魚の腐ったような目をしないでください!」って酷いことを言う。スターに言っちゃいけないようなことを、バンバン言う。皆、ハラハラするんですよ。 — 藤井浩明「映画製作の現場から」 しかし三島は増村監督の口汚い罵倒に耐えながら黙って従い、弱音を吐くことなく1人の俳優に徹していた。監督として俳優の自分に真剣勝負を挑んでいることを感じていた三島は、どんな屈辱的な言葉でボロクソに貶されても、途中で投げ出すことはなかった。藤井浩明は、「三島さんは偉かった。あれ、普通だったら喧嘩しますよ」と振り返っている。 共演者の水谷良重は三島と古くからの友人でもあったため、「先生、何故いわれっぱなしにしてるのよ。先生がやんなきゃ、私が代わりに喧嘩しようか?」と耳打ちするが、三島は、「いいんだよ、これで。増村はぼくと同級生だったから、威張りたいんだよ」と制して、良重との濡れ場を撮り終えた。 相手役の若尾文子は、増村監督から暴言を言われている時の三島が気の毒で、その顔も見られなかった。自分の出番がない時にはセットの隅で三島さんのシーンが無事にいきますようにと若尾は祈っていた。 増村さんてそういう人ですけど、私の見た範囲ではあんなのはちょっとないですね。私はほんとに、もう嫌でしたね。陰で祈っていたわ。普通の人だったら、並みの俳優だったら、もう辞めてますね。だけど、私はあのときの三島さん、ああえらいなあと思ったわ。 — 若尾文子(中村伸郎・松浦竹夫・藤井浩明・葛井欣二郎・丸山明宏との座談会)「あの人はもういない」 撮影風景を取材した週刊誌の取材記者も、ワンカットに15回も三島にNGを出す増村監督の「罵詈雑言」を具体的に書き連ね、「文壇の寵児として、一段と高い流行作家の地位にあった三島氏には、ついぞ見られなかった光景である」と報じたりした。その記者が三島に、「あんなヒドい言い方をされてなんでもないんですか」と訊ねると、「当り前ですよ。だってボクは俳優としてはまったくシロウト」と三島は答えて、監督の言いなりになることを当然と受け止めていた。 ベストセラーの『永すぎた春』を担当した講談社の三島担当編集者・川島勝も、『永すぎた春』の映画がヒットしたことから、縁起担ぎのためかエキストラの端役(雲取一家の大親分の三下やくざ役)に駆り出されていて、三島と若尾が産婦人科のシーンを演じているのを直接見学していた。増村監督から「タイミングが合わない」と何十回もダメ出しされ面罵される三島を見かねたスタッフらが、「いいかげんにしてくれ」と増村を制する一幕を川島は目撃した。だんだんスタッフたちは三島に同情を寄せるようになっていた。 三島と同じ文学座にいた俳優の中村伸郎は、その頃の三島が演技を向上させようと一生懸命だったことを、「三島さんは、何とかしなくちゃいけないってんでね。あした撮影という場面をうちへ来て稽古してくれっていうんですよ。果物なんか持ってきてね」と回想している。村松英子も、「演技っていうことが得意でないってことを自分でご存知でね。でも敢えてそれに挑んでいらっしゃった」と振り返っている。
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