からっ風野郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 製品 > 芸術・創作物 > 映画 > 映画作品 > からっ風野郎の意味・解説 

からっ風野郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 13:07 UTC 版)

からっ風野郎』(からっかぜやろう)は、1960年(昭和35年)3月23日公開の日本映画監督増村保造。脚本は菊島隆三。製作は大映大映東京撮影所)。作家の三島由紀夫映画俳優として初主演した作品である[1][2][3]。傾きかけた落ち目な組の二代目ヤクザが、敵対する組の殺し屋に命を狙われる中、惚れた女の一途な純情にうたれ堅気になろうとした矢先に殺されてしまうという異色のヤクザ映画である[3][4]。公開当時は、映画倫理管理委員会より成人映画(映倫番号11655)の指定を受けた[5][6]


注釈

  1. ^ 藤井浩明と、講談社の榎本昌治や川島勝、新潮社新田敞とは普段から親しい仲間だった[2]
  2. ^ 三島は白坂との打ち合わせ中に藤井に電話を入れ、「あいつは、のらりくらりと何言ってるかわけがわからない」、「からかってばかりいるんで、早く来てくれ」と頼んだが、あいにくその日は台風が凄いこともあって、藤井は行かれなかった[2]
  3. ^ 芳村真理との対談では、毎朝6時に起きたとも述べている[29]
  4. ^ その後に川島は、自分のエキストラ出演の理由が、知った顔の友人がそこいらにチラホラいた方がいいだろうという藤井浩明の、主役の三島の緊張を和らげるための細やかな配慮だったことを知ったという[14]
  5. ^ 藤井浩明が後に神山繁に、「あんたが余計なことを言うから」と注意をすると、「いや、俺はあそこまでやるとは思わなかったから」と弁解したという[2]
  6. ^ 2006年(平成18年)時点でもマルベル堂では当時と同じブロマイド写真が1枚350円で売られていた[11]
  7. ^ 西久保三夫(1917年-1993年)は、当時東宝に勤務していた人物で、岩波ホール博品館劇場勤務を経て1983年(昭和58年)に雑誌『ミュージカル』を創刊し、「三浦時彦」の筆名で劇評を書いた[48]
  8. ^ 川島勝が撮影した三島がファンにサインしている写真は、『三島由紀夫大鑑』(評論社、1971年1月)や『三島由紀夫展図録』(神奈川近代文学館、2005年)に掲載されている[11]
  9. ^ 三島由紀夫と深沢七郎は、三島が深沢のデビュー作『楢山節考』を高評価して新人賞に推薦したのを機に知り合い、深沢は三島のことを、「三島由紀夫先生」と呼び、「雲の上の人のような高貴な」存在と崇めていた[53][55]。2人は1959年(昭和34年)12月4日に行われた深沢の『東京のプリンスたち』の出版記念会の檀上で一緒に歌うなど、当時親しく交流していた[53][56]
  10. ^ 若尾はこの『お嬢さん』の映画で自分の衣裳22点をデザインした[13][74]。この衣裳は「若尾ちゃんの『お嬢さん』モード」と大人気となり、某デパートから「お嬢さんコーナー特売」の申し込みがあった[13][75]
  11. ^ 草壁久四郎は、1920年(大正9年)生まれの映画評論家で映画プロデューサーでもある[81]2001年(平成13年)に亡くなった[81]
  12. ^ 三島作詞の原題で旧仮名遣いとなっている。

出典

  1. ^ a b 「初出演の言葉」(大映映画プログラム 1960年3月)。映画論 1999, p. 297、31巻 2003, p. 401に所収
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be 藤井浩明「原作から主演・監督まで――プロデューサー藤井浩明氏を囲んで(聞き手:松本徹・佐藤秀明・井上隆史・山中剛史)」(研究2 2006, pp. 4–38)。「映画製作の現場から」として同時代 2011, pp. 209–262に所収
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp 「第十章 映画『からっ風野郎』と俳優宣言」(山内 2012, pp. 264–293)
  4. ^ a b 「『からつ風野郎』の情婦論」(講談倶楽部 1960年4月号)。映画論 1999, pp. 300–306、31巻 2003, pp. 404–410に所収
  5. ^ 一般社団法人日本映画製作者連盟(2017年3月20日閲覧)
  6. ^ DVD 2007冒頭タイトル表示の右下に付記
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 「第四章 著名人の時代」(佐藤 2006, pp. 110–143)
  8. ^ a b c d e f g h 「映画俳優オブジェ論」(京都新聞夕刊 1960年3月28日号)。映画論 1999, pp. 298–299、31巻 2003, pp. 402–403に所収
  9. ^ 平山城児「映画出演」(事典 2000, pp. 457–458)
  10. ^ 「か行――からっ風野郎」(なつかし 1989
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 犬塚潔「『からっ風野郎』未発表写真」(研究2 2006, pp. 139–151)
  12. ^ a b c d e f g 「映画スター・三島由紀夫――銀幕に賭けた作家の意欲」「芸能づいた文士」(週刊サンケイ 1959年12月6日号)。山内 2012, p. 267、山内 2014, p. 96
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 「第一章 映画女優 若尾文子」(岡山 2016, pp. 15–54)
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 「『からっ風野郎』」(川島 1996, pp. 149–170)
  15. ^ a b c d e f g h i j 「ぼくはオブジェになりたい――ヒロインの名は言へない」(週刊公論 1959年12月1日号)。映画論 1999, pp. 286–292、31巻 2003, pp. 294–300に所収
  16. ^ 川端康成宛ての書簡」(昭和34年12月18日付)。川端書簡 2000, pp. 142–143、38巻 2004, pp. 291–292
  17. ^ a b c 井上隆史「『三島映画』の世界」(研究2 2006, pp. 44–54)
  18. ^ a b 「若尾文子さん――表紙の女性」(週刊コウロン 1960年5月10日号)。映画論 1999, p. 397、31巻 2003, p. 421に所収
  19. ^ a b c d e f g 「若尾文子讃」(主婦の友 1962年4月号)。映画論 1999, pp. 398–402、32巻 2003, pp. 54–58に所収
  20. ^ a b c d e f g h i 増村保造「三島由紀夫さんのこと」(ユリイカ 1986年5月号)。佐藤 2006, p. 113、山内 2012, pp. 275, 288
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 「七 西にコクトー、東に三島『からっ風野郎』」(岡山 2014, pp. 46–51)
  22. ^ a b 「名乗り出た“和製コクトー”――自作自演の“俳優三島由紀夫”大映と契約」(スポーツニッポン 1959年11月15日号)。山内 2012, p. 265
  23. ^ a b 「俳優宣言をした三島由紀夫」(朝日新聞 1959年11月15日号)。山内 2012, pp. 265–266
  24. ^ 「ドン・ホセになる新人・三島由紀夫」(週刊新潮 1959年11月30日号)。岡山 2014, p. 47
  25. ^ フランキー堺との対談「ニュー・フェイス三島由紀夫“センパイ”フランキー堺と大いに語る」(週刊明星 1959年12月6日号。実施日11月19日)
  26. ^ a b c 「映画初出演の記」(読売新聞大阪夕刊 1960年2月24日号)。映画論 199931巻 2003, pp. 395–397に所収
  27. ^ 「三島の主演『からっ風野郎』に変更――大映、来月上旬に開始」(日刊スポーツ 1960年1月26日号)。山内 2012, p. 270
  28. ^ a b c d e f g h 「年譜――昭和35年」(42巻 2005, pp. 237–243)
  29. ^ 芳村真理との対談「世界の旅から帰った三島由紀夫氏」(婦人公論 1961年3月号)。彼女 2020, pp. 23–31
  30. ^ 「出演の弁」(週刊現代 1960年2月28日号)。映画論 1999, p. 296、31巻 2003, p. 394に所収
  31. ^ a b 三島由紀夫原作・出演映画一覧
  32. ^ 岸田今日子「三島さんの思い出」(ユリイカ 1986年5月号)。岡山 2016, p. 39
  33. ^ 川端康成が見学に来た写真はアルバム 1983, p. 68に掲載
  34. ^ 志津野要子「わたしの好きな雷蔵映画――『』」(石川 2008, pp. 247–249)
  35. ^ 大西望「市川雷蔵の『微笑』――三島原作映画の市川雷蔵」(研究2 2006, pp. 85–93)
  36. ^ a b c d e 若尾文子白井佳夫との対談)「わが非凡なる監督たち」(別冊文藝春秋 1996年春号)。山内 2012, pp. 277–280、岡山 2014, p. 49、岡山 2016, pp. 38–39
  37. ^ 水谷良重『あしおと 人生半分史』(読売新聞社、1991年10月)。岡山 2014, p. 40
  38. ^ a b c d e f g h i 若尾文子(中村伸郎・松浦竹夫・藤井浩明・葛井欣二郎・丸山明宏との座談会)「あの人はもういない」(週刊現代 1970年12月12日・増刊 三島由紀夫緊急特集号)。川島 1996, pp. 151–153、岡山 2014, p. 49、岡山 2016, p. 42
  39. ^ a b 「怒られてばっかり/新人・三島由紀夫」(週刊読売 3月13日号)。山内 2012, pp. 277–278
  40. ^ 「その後の三島由紀夫――ボクはマナイタの鯉だ」(週刊平凡 1960年3月9日号)。山内 2012, p. 277
  41. ^ 「三島由紀夫が負傷」(スポーツニッポン 1960年3月2日号)。山内 2012, p. 280
  42. ^ 「三島インタビュー」(東京新聞夕刊 1960年2月2日号)。山内 2012, p. 279
  43. ^ 「三島由紀夫と『鏡子の家』秘話」(湯浅 1984, pp. 105–128
  44. ^ 「三島、元気に撮影所」(スポーツニッポン 1960年3月12日号)。山内 2012, p. 281
  45. ^ a b c d 「社長立ち会いで無事に死ぬ――『からっ風野郎』銀座ロケ/ホッとした三島由紀夫」(東京新聞夕刊 1960年3月15日号)。山内 2012, p. 281
  46. ^ a b 「俳優はもうゴメン?“三島由紀夫の演技”自己批判」(週刊読売 1960年3月27日号)。山内 2012, pp. 283–285
  47. ^ 「西久保三夫宛ての葉書」(昭和35年3月14日付)。38巻 2004, p. 752に所収。葉書の現物写真は研究2 2006, p. 140に掲載
  48. ^ 井上隆史「解題――西久保三夫」(38巻 2004, p. 997)
  49. ^ 女子高生に囲まれサインに応じている写真は研究2 2006, p. 143に掲載
  50. ^ 現物写真やネガフィルムの写真は研究2 2006, pp. 139, 147–151に掲載
  51. ^ a b 山中剛史「音声・映像資料――肉声資料「からっ風野郎」」(42巻 2005, p. 891)
  52. ^ ジャケット写真は研究2 2006, p. 143、41巻 2004ブックレットp.13に掲載
  53. ^ a b c 「九 『風流夢譚』事件の余波」(岡山 2014, pp. 59–65)
  54. ^ 「からつ風野郎」(作詞の原題は旧仮名遣い)の歌詞は映画論 1999, pp. 307–308、37巻 2004, p. 773に所収
  55. ^ a b 深沢七郎「三島由紀夫論」(若い女性 1960年4月号)。岡山 2014, pp. 60–61
  56. ^ 東京のプリンスたち』の出版記念会の檀上で一緒に歌う深沢七郎と三島の写真はアルバム 1983, p. 47、年表 1990, p. 136に掲載
  57. ^ a b 「三島由紀夫関連作品フィルモグラフィー 『からっ風野郎』」(映画論 1999, p. 664)
  58. ^ a b DVD 2007キャスト・スタッフロール
  59. ^ 「三島を生かした演出の計算」(日刊スポーツ 1960年3月23日号)。佐藤 2006, p. 115
  60. ^ 「やくざ稼業のむなしさ」(内外タイムス 1960年3月21日号)。佐藤 2006, p. 115
  61. ^ 「三島由紀夫のやくざぶり」(東京中日新聞 1960年3月23日号)。佐藤 2006, p. 115
  62. ^ 「気迫ない三島」(デイリースポーツ 1960年3月25日号)。佐藤 2006, p. 115
  63. ^ 「三島のご愛敬」(神戸新聞 1960年3月25日号)。佐藤 2006, p. 115
  64. ^ a b c 小倉真美「日本映画批評」(キネマ旬報 1960年4月号)。山内 2012, pp. 290–291
  65. ^ a b c 草壁久四郎「三島文学流の演技」(毎日新聞 1960年3月)。
  66. ^ a b 永田雅一「俳優三島由紀夫論」(婦人公論 1960年5月号)。岡山 2014, p. 50
  67. ^ 増村保造「『音楽』と愛とセックスと」(キネマ旬報 1972年9月下旬号)。山内 2012, pp. 184–185
  68. ^ 「若尾、川口と意気投合――三島由紀夫氏『永すぎた春』のセット」(東京新聞夕刊 1957年4月12日号)。山内 2012, p. 159
  69. ^ 原田雅昭・青木眞弥『女優 若尾文子』(キネマ旬報社、2012年12月)。岡山 2016, p. 32
  70. ^ 三島由紀夫・若尾文子らの座談会「『永すぎた春』をめぐって」(婦人倶楽部 1957年6月)。岡山 2016, p. 33
  71. ^ 「四 美智子様の御成婚を祝するカンタータ」(岡山 2014, pp. 30–38)
  72. ^ a b 白坂依志夫「寺山修司」(『脚本家・白坂依志夫の世界』シナリオ作家協会、2008年6月)。岡山 2016, p. 40
  73. ^ a b 「若い娘のあたし新しい考え方『お嬢さん』」(帝都日日新聞 1961年2月16日号)。研究2 2006, p. 40
  74. ^ 「若尾ちゃんの“お嬢さん”モード」(週刊女性 1961年2月26日号)。研究2 2006, p. 40
  75. ^ 「若尾の入浴場面から――『お嬢さん』湯河原新婚旅行ロケ」(東京新聞夕刊 1961年2月3日号)。研究2 2006, p. 40
  76. ^ a b 「女優の若尾文子が三島と共演した「からっ風野郎」を回想」(日本経済新聞夕刊 2009年11月11日号)。西法メル 2009
  77. ^ a b 若尾文子「“俳優・三島”とのラストダンス」(婦人公論 2010年12月7日号)。彼女 2020, pp. 136–137
  78. ^ 黒田邦雄「インタビュー若尾文子」(キネマ旬報 2005年11月号)。岡山 2016, pp. 51–52
  79. ^ 草壁久四郎「三島由紀夫さんと映画のこと」(アートシアター 1966年4月・40号)。研究2 2006, pp. 144–145
  80. ^ 「草壁久四郎宛ての葉書」(昭和35年7月4日付)。補巻 2005, p. 213に所収。葉書の現物写真は研究2 2006, p. 145
  81. ^ a b c 井上隆史「解題――【書簡】草壁久四郎」(補巻 2005, p. 658)
  82. ^ a b 「あとがき」(『スタア』新潮社、1961年1月)。31巻 2003, pp. 515–516に所収
  83. ^ 「あとがき」(『三島由紀夫短篇全集6』講談社、1965年8月)。33巻 2003, pp. 414–416に所収






固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」からからっ風野郎を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からからっ風野郎を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からからっ風野郎 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「からっ風野郎」の関連用語

からっ風野郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



からっ風野郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのからっ風野郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS