国際競争との直面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 06:10 UTC 版)
「ベスレヘム・スチール」の記事における「国際競争との直面」の解説
アメリカの製鉄業は第二次世界大戦前から大戦終結までの間に大いに繁栄したが、ライバルであった日本とドイツの製鉄業は連合軍の爆撃による破壊などによって壊滅状態となった。戦後それらの再建は新型製鉄所での連続鋳造のようなより現代的な技術で行われ、戦前から強力な工業力を持っていた国の復興に貢献した。アメリカの製鉄業が重要な国際競争なしに操業することができた1930年代後半から1950年代後半までの約20年間で、工場労働者の給与は上昇し、新技術への利益投資は怠られた。この事実は1980年代に製品の価格格差として影響を及ぼすこととなる。 さらにより安価な外国製鋼材は、大韓民国やブラジル、インドなどの新興国の工業化が進んだ1980年代に輸入され始めた。これはベスレヘム・スチールの市場占有率に否定的な影響を与える。1982年には15億USドルの赤字を計上し、その製鉄所の多くを閉鎖しなければならなくなった。収益率は1988年に一時的に好転したが、1980年代から1990年代にかけて閉鎖とリストラは続けられた。 1980年代中頃に構造材製品の市場は縮小し始めた。一方で市場には新たな競争が現れた。軽量で低層な建設スタイルは低層建造物の増加につながり、ベスレヘム・スチールが生産するような巨大で重量のある構造材の需要は減少した。その結果、1991年には採鉱業(ベスエナジー)から撤退、1995年には製鉄所での製鋼を中止することとなった。ベスレヘムでの140年に及ぶ鉄鋼生産は終了した。ベスレヘム・スチールは企業の中心活動である製鋼業を維持するため、1993年には鉄道貨車生産、1997年に造船から撤退している。 ジェームズ・C・コリンズはその著書『Good to Great』の中で、ベスレヘムの長期凋落をニューコアの急速な上昇と比較している。コリンズは調査チームが集めたデータに基づき、安価な輸入製品がベスレヘムの衰退のただ一つの理由ではなかったと結論を下した。技術の刷新や労使関係改善の失敗が会社の終焉に大きく影響した。 皮肉にも安価な輸入製品はアメリカ製鉄業全体の問題である。最近ニューコアのCEOは輸入製品によって引き起こされた問題に関して上院で証言を行った。
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