名古屋市中心部への路線延伸計画とは? わかりやすく解説

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名古屋市中心部への路線延伸計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 15:05 UTC 版)

愛知電気鉄道」の記事における「名古屋市中心部への路線延伸計画」の解説

名古屋地下鉄道」も参照 1927年昭和2年4月名古屋市電東郊線堀田まで開通した。これを受けて愛電は翌1928年昭和4年4月豊橋線沿線から市電東郊線との連絡運輸による名古屋市東部への最短ルート中継駅として堀田駅開業当時の最優等列車種別であった特急を含む全列車停車させた。 さらに愛電自社路線によって名古屋市中心部直接乗り入れることを計画1927年昭和2年2月名古屋市南区熱田から同南区金山に至る路線敷設免許交付され、さらに金山から中区西菅原町(現在の丸の内)に至る地下鉄道敷設免許申請した。この愛電による申請ルートは、旧・名古屋鉄道(後の名岐鉄道)が「名古屋地下鉄道名義1926年大正15年10月免許申請した名古屋 - 熱田間の地下鉄道ルート一部競合し異な事業者による2路線競願する形となった。 ただしこれらの申請は、愛電および旧・名古屋鉄道名古屋地下鉄道)とも事業内容に対して資本面が脆弱であったことから却下される可能性が高いと見られていた。また、愛電旧・名古屋鉄道という名古屋地区代表する二大郊外路線相互連絡し名古屋市東西方面直通する路線とすることが利用者利便性向上繋がりひいては両社にとって将来の発展性の観点から極めて得策であるとの結論から、愛電旧・名古屋鉄道両社共同出資名古屋地下鉄道資本金1500万円)を設立し同社によって地下鉄道建設する計画策定した名古屋地下鉄道路線名古屋 - 熱田間 7.2 km、全区間道路直下地下建設し中途伏見町栄町上前津別院前沢上の5駅を設置することとした。また旧・名古屋鉄道起点駅を従来柳橋から名古屋移転し枇杷島橋付近から地下新線切り替えること、愛電熱田 - 金山間の敷設免許申請取り下げることなどが両社間で取り決められた。名古屋地下鉄道発起人総代には愛電社長藍川旧・名古屋鉄道代表取締役社長にあった富田重助両名就き、その他両社重役全員発起人として参加した。 同計画道路管轄する名古屋市当局による意見提起経て1929年昭和4年1月21日正式に関係省庁提出された。しかし、同時期に発生した昭和恐慌端を発する経済情勢悪化によって資金調達難航し実現には至らなかった。なお、計画申請1931年昭和6年6月20日却下されている。

※この「名古屋市中心部への路線延伸計画」の解説は、「愛知電気鉄道」の解説の一部です。
「名古屋市中心部への路線延伸計画」を含む「愛知電気鉄道」の記事については、「愛知電気鉄道」の概要を参照ください。

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