反ファシズム活動
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1935年6月にはファシズムから文化を守ることを目的とした第一回文化擁護国際作家会議(フランス語版)がバルビュス、ロマン・ロラン、マルロー、ジッド、アラゴンらの提案によりパリで開催され、ソ連のイリヤ・エレンブルグ、イサーク・バーベリ、ドイツのハインリヒ・マン、ベルトルト・ブレヒト、アンナ・ゼーガース、オーストリアのローベルト・ムージル、英国のオルダス・ハクスリーら約24か国から230人の文学者が参加した。「文化遺産」、「ヒューマニズム」、「国民と文化」、「個人」、「思想の尊さ」、「社会における作家の役割」、「文学創造」、「文化擁護のための作家の行動」のテーマで行われたこの大規模な反ファシズム作家会議で、ニザンは「ヒューマニズム」に関する講演を行い、マルクス主義ヒューマニズム(フランス語版)の重要性を強調した。この会議の概要と主な講演についてはバルビュスの『世界』誌や『コミューン』誌で報告され、邦訳も『文化の擁護 - 1935年パリ国際作家大会』として刊行された。 1936年にスペイン内戦を取材して『国際通信』誌に記事を掲載し、次いで『ルガール』誌および『リュマニテ』紙の特派員としてさらに取材を続けた。1937年にスペイン人民戦線政府(共和派)を支援するために同政府の援助を得て共産党の新しい機関紙『ス・ソワール』が創刊された。トレーズ書記長からの依頼を受けてアラゴンとジャン=リシャール・ブロックが共同で編集し、ニザンは『リュマニテ』紙から『ス・ソワール』紙に移って再び国際政治欄を担当した。同紙はスペイン人民戦線を支持するガブリエル・ペリ、ジャン・コクトー、ジョルジュ・サドゥール(フランス語版)、エルザ・トリオレ、ジュリアン・バンダ、ジャン・ブランザ(フランス語版)らが寄稿し、売上部数が1937年の12万部から2年後の1939年に25万部に急増した(同年の『リュマニテ』は約35万部)。
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