原因不明の奇病で長期入院・幕内から幕下へ陥落とは? わかりやすく解説

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原因不明の奇病で長期入院・幕内から幕下へ陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:38 UTC 版)

剣晃敏志」の記事における「原因不明の奇病で長期入院・幕内から幕下へ陥落」の解説

新三役(小結)だった1995年5月場所では40度を超える高熱発したが、一切休場せずに5勝10敗で取り終えた剣晃その後持病痛風にも悩まされながら、幕内上・中位で活躍していた。 ところが、1996年11月場所辺りから再び体調崩し原因不明発熱貧血症状苦しむも場所中に点滴治療などを続けながら強行出場していた。だが1997年3月場所に入ると急激に体重落ち、120kg台まで痩せてしまう。次の同年5月場所には前頭11目の地位千秋楽勝って8勝7敗と勝ち越したが、これが剣晃にとって生涯最後の出場場所となってしまった。 剣晃1997年5月場所後、大阪市内病院緊急入院同年7月場所(前頭6目)の剣晃は、初土俵以来初めての休場休場理由は「不明熱」)となった。当場所以後は、一度出場が無いまま全休続けたために、番付幕内から十両1997年9月11月場所)を通り越して幕下1998年1月3月場所)の地位まで転落した剣晃この際に、検査によって病名が「汎血球減少症」と判明し抗がん剤など投薬影響によって剣晃の髷は全て抜け落ちてしまっていた。汎血球減少症とは白血病一種で、当時日本ではまだ4例し報告例が無い(そのうち2例は当時既に死亡奇病であり、治療法確立されていなかった。入院して間もない1997年の夏、剣晃実母は既に医師から「残念ですが、息子さんは助かりません」との宣告受けていた。 なお発症原因について、ある担当医痛み止め注射好ましくない化学反応起こしたという説を、またある担当医ウイルス感染説も唱えていた。ただ、剣晃最後まで生きる希望捨てなかった。「オレ本当病気なんなんだもう一度社会復帰できるのか、出来ないのか。親には言わずオレにだけ、本当の事を言ってくれ!」と迫り自身枕元カバン一杯になるほどの医学書真相解明励んだ。翌1998年2月一時退院出来程に体調が一旦回復した剣晃は、実兄と共に小・中学校幼少時遊んだ公園など思い出の場所歩いたり、家族揃って和歌山県へ3泊の温泉旅行出掛けたりしていたという。だが、この頃実母は「本人も死が近い事を分かっていたようです…」と述懐している。

※この「原因不明の奇病で長期入院・幕内から幕下へ陥落」の解説は、「剣晃敏志」の解説の一部です。
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