印刷の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 02:22 UTC 版)
日本の新聞の歴史は、紙などが庶民に普及し出した江戸時代に見る事が出来る。有名な物では、瓦版と呼ばれるもので、亙に文字を彫り込み、凹版印刷の要領で多量に印刷し、作る物である。 明治期になるとヨーロッパなどから活字印刷技術が導入され、凸版印刷が主流になる。 昭和中期に入ると鉛板に活字を彫り、1枚の板状の凸版印刷となる。 昭和後期から平成期になると、印刷にコピー機の原理が加わる。レーザーを使用したフィルムプリンタの登場により、新聞紙面大のフィルムに文字を焼き付け、現像。ネガであるため白抜きの文字になる。以下は、液体コピー機の原理と同じである。作成したフィルムをフィルタとして大型の感光ドラムに照射し、感光ドラムまたは感光フィルム(以下感光体)の表面電位を変化させ、感光体に文字を電位変化という形で作成する。次に液体トナーと呼ばれるインク物質を感光体に触れさせ、電位変化のあった感光体の文字部分にインクを付着させる。次に紙と触れさせ転写を行う。カラー印刷を行う場合は、4色の色別に印刷機が組み合わされる。 また、新聞の印刷は1980年代前半ごろまでは鉛版 を使い、手作業で紙面を製作していったが、1980年代後半以後からは、CTS(コールドタイプシステム)という方式を採用し、紙面作成のイメージをDTPで組み立てるようになり、紙面作成・印刷までの時間の大幅な時間短縮にもつながった。更に、同時期ごろまで、全国紙の場合は、主に発行本社が所在する北海道(札幌市)、東京都(千代田区・中央区)、愛知県(名古屋市)、大阪府(大阪市)、福岡県(福岡市・北九州市)か、それに近い近隣府県の印刷工場で印刷を行い、そこから航空便、船便、鉄道輸送を使って遠隔地に向けて新聞を配送していたため、遠隔地や離島では、情報格差の開きが懸念され続けたが、1980年代後半以後は、印刷技術向上が進み、地方都市に自社印刷工場を建設したり、あるいはコスト削減の目的で地方紙と提携し、地方紙の印刷工場を使い、電話回線(NTTデジタル回線網)や、通信衛星を使って、現地印刷による紙面発行が可能となり、情報の格差縮小にもつながっている。特に日本経済新聞は自社工場のほか、地方紙への委託印刷を積極的に進めている(当該項参照)。
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