南米制覇と国内での成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:07 UTC 版)
「CAインデペンディエンテ」の記事における「南米制覇と国内での成功」の解説
1960年に12年ぶりのリーグ優勝を果たし、1963年に7度目の優勝を果たした。インデペンディエンテは45,000人以上の会員を持ち、クラブとしての成長を続けた。クラブ最大の成功のひとつは、1964年、アルゼンチンのクラブとして初のコパ・リベルタドーレス制覇を成し遂げたことである。1965年には2連覇を成し遂げた。2年連続でインターコンチネンタルカップに出場したが、いずれの年もインテル(イタリア)に敗れている。ナシオナル1967で優勝した時のチームは古典的な2-3-5フォーメーションを使用する稀有なチームであった。 1970年代最初のシーズン(メトロポリターノ1970)でもリーグ優勝を飾った。1972年には3度目のコパ・リベルタドーレス優勝を果たし、1975年まで4連覇を成し遂げたほか、1976年にもベスト4となった。1972年大会決勝ではウニベルシタリオ・デポルテス(ペルー)を、1973年大会決勝ではCSDコロコロ(チリ)を、1974年大会決勝ではサンパウロFC(ブラジル)を、1975年大会決勝ではウニオン・エスパニョーラ(チリ)を破っている。1972年と1974年のインターコンチネンタルカップには敗れたが、1973年大会ではユヴェントスFC(イタリア)を破り、4度目の出場で初優勝を飾った。なお、1975年大会は試合そのものが中止となっている。1970年代のインデペンディエンテは黄金期を迎え、12個の主要タイトルを獲得している。国内リーグで4個(メトロポリターノ1970、メトロポリターノ1971、ナシオナル1977、ナシオナル1978)、コパ・リベルタドーレスで4個(1972、1973、1974、1975)、インターコンチネンタルカップで1個(1973)、コパ・インテラメリカーナで3個(1973、1974、1975)である。コパ・リベルタドーレスでの4連覇はクラブ最大の成功に数えられる。この時代のチームはリカルド・ボチーニとダニエル・ベルトーニのコンビで有名となった。 1978年1月25日に行われたナシオナル1977最終節・CAタジェレス(スペイン語版)戦は、クラブの歴史で最も記憶に残る試合として知られている。ホームでのファーストレグに1-1で引き分け、コルドバでの最終戦は1-1の同点であったが、残り15分の段階でタジェレスが疑惑の得点を挙げた。この結果、インデペンディエンテの選手は抗議を行ったが、主審はインデペンディエンテの3人の選手にレッドカードを提示して退場処分とした。わずか8人での戦いを余儀なくされ、残り時間も少ない中、インデペンディエンテはベルトーニのアシストからボチーニが信じられない得点を挙げて同点に追いついた。2試合合計3-3となったが、アウェーゴールルールによってインデペンディエンテのリーグ優勝が決定した。メトロポリターノ1983でも優勝し、1984年には7度目のコパ・リベルタドーレス優勝を遂げて大会最多優勝クラブとなった。同年には日本の東京で行われたインターコンチネンタルカップに出場し、イアン・ラッシュを擁するUEFAチャンピオンズカップ王者のリヴァプールFC(イングランド)と対戦した。1-0で激闘を制し、同大会2度目の優勝を果たした。クラブが1980年代に得た最後の重要なタイトルは1988-89シーズンのリーグ優勝である。38試合で58得点32失点、22勝11分5敗を記録した。ホルヘ・ソラーリ監督に率いられたチームには依然として策士ボチーニがおり、カルロス・アルファロ・モレノがリーグ得点王となった。通算740試合に出場して107得点を記録したボチーニは、1991年に現役引退を表明した。ボチーニは1972年にデビューしてから20年間をインデペンディエンテのみに捧げたワン・クラブ・マンであり、4度のリーグ優勝や8度の国際大会優勝の立役者であったが、彼の引退によって組織の崩壊からクラブの凋落が始まった。
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