北方への転戦、沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 01:50 UTC 版)
「子日 (初春型駆逐艦)」の記事における「北方への転戦、沈没」の解説
5月20日、第一水雷戦隊の「阿武隈」、第六駆逐隊、第二十一駆逐隊は北方部隊に編入。第二十一駆逐隊は「阿武隈」などとともにAQ攻略部隊(AQはアッツ)としてAL作戦に参加した。 5月22日に「子日」、「若葉」は呉を出航し、5月24日に大湊に到着した。AQ攻略部隊は5月29日に川内湾を出撃。6月7日夜にアッツ島ホルツ湾外に到着し、8日には同島のチチャゴフを占領した。9日、「阿武隈」、「子日」、「初霜」はセミチ島の掃海及び基地調査を行った。10日にAQ攻略部隊の編制は解かれ、「子日」は単独で「富士山丸」の警戒に指定された。11日に「富士山丸」と合流、以降は同船の護衛に従事した。20日、第21駆逐隊はアッツ島周辺で水上機を展開する水上機部隊に編入された。 21日、子日はアッツ島で富士山丸から給油中、艦尾方向800mで潜水艦を発見、爆雷で攻撃し、撃沈確実と報告した。報告を受けた第五艦隊は潜水艦から機密文書を回収したいと考え、子日に現場に戻って沈没位置を特定するよう指示した。「子日」は7月3日まで調査にあたったが沈没潜水艦は発見されず、その後水上機部隊との合流のためアガッツ島マクドナルド湾へと向かった。 5日午後、視界2キロ以内の濃霧の中を速力9ノットで航海中、同島南端サバック岬(Cape Sabak)沖で米潜水艦トライトン が子日を雷撃した。12時50分に魚雷1本が右舷中央部に命中、艦体が前後に分かれて沈没した。。寺内艦長等は転覆した船体に登り「子ノ日万歳」を唱えた後、行方不明になったという。夏でも海水温が低い海域での遭難となり、乗員188名が戦死した。 6日、水上機部隊はキスカ島での作戦をいったん中止し、駆逐艦電を捜索に派遣。アガッツ島に上陸した生存者を発見、36名を救助した。子日が撃沈された5日、キスカ島でも米潜水艦グロウラーの攻撃で駆逐艦 霰が沈没、霞と不知火が航行不能になり、北方部隊は増援部隊の帰投を決めた。7月31日、子日は帝国駆逐艦籍から除籍された。
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