写真に見る、花蓮港神社の時代変遷
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「花蓮港神社」の記事における「写真に見る、花蓮港神社の時代変遷」の解説
花蓮港神社拝殿前の景色、鳥居。 花蓮港神社から眺める田園景色。荳蘭(タウラン。現在の田浦駅)、吉野村(吉安郷)一帯。 大正時代に発行された絵葉書による、花蓮港神社全景。 神社前の橋「宮の橋」上の、花蓮港分屯大隊隊員。 花蓮港神社全景。美崙渓にかかる吊り橋は、当時は「宮の橋」、現在は「尚志橋」と呼ばれる。遠くに花蓮港神社を望む。 昭和の天長節(昭和天皇誕生日)で、参拝に列成す人々。30歳以上の男性が多く、多くは洋装、制服姿である。 昭和16年(1941年)『花蓮港中學校第一回卒業記念写真帳』より、花蓮港中學校の教師、生徒による神社参拝。 花蓮港神社本殿の古い社殿では、改築されていない状況がうかがえる。 花蓮港神社は当時の市街で一番の高所である。境内から市街を一望できた。写真は1930年代の市街。 花蓮港神社の祭礼。 美崙山上から望む花蓮港神社、そして花蓮港の市街地。台湾東部随一の都市として繁栄していた。 昭和7年(1932)に、現在の尚志橋たもとで撮影された写真。 「螢雪の級友」と題された写真。昭和18年(1943年)1月30日、花蓮港庁立花蓮港工業学校(現在の国立花蓮高級工業職業学校、通称・花蓮高工)の機械科第一期卒業生。 民國38年(1949年)に撮影された、明礼国校の教師と生徒たち。当時は神社の面影がそのまま残っていた。 民國40年(1951年)の「花蓮忠烈祠」。神社の石灯籠がそのまま残っている。後方の吊り橋は台風で破損し、1970年にコンクリート橋にかけ替えられた。 民國40年(1951年)の地震で倒壊した鳥居。後方の尚志橋(宮の橋)も一部破損している。 民國51年(1962年)。当時は神社建築が残っていた。 2006年、尚志橋上より望む美崙山忠烈祠堂。 花蓮港神社が鎮座していた美崙山南麓には、現在も日本統治時代に植えられたリュウキュウマツが茂っている。2006年撮影。
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