写真の6人目と認められるまでとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 写真の6人目と認められるまでの意味・解説 

写真の6人目と認められるまで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/13 14:06 UTC 版)

ハーロン・ブロック」の記事における「写真の6人目と認められるまで」の解説

硫黄島の星条旗写真に写る6人の身元は、写真公開後すぐに大統領命令調査が行われた。まず最初に身元判明したのはレイニー・ギャグノン(以下「ギャグノン」と記す)で、ギャグノンはアイラ・ヘイズ(以下「アイラ」と記す)を除いた5人の身元証言した。しかし、ギャグノンは国旗掲揚者のうちの1人ハーロンではなく、ヘンリー・オリバー・ハンセン(英語版)(Henry Oliver Hansen)であると証言したため、その名前が大々的報道されてしまった。その後間違い気付いたアイラ海兵隊広報係士官間違い指摘したところ、アイラ士官から黙っていろと命じられたため、この件はうやむやとなった一方ハーロンの母のベル最初に写真見た時から、一番右に写っているのは自分息子だと信じて疑わなかった。 戦争後1946年5月アイラアリゾナ州からハーロン実家のあるテキサスまでヒッチハイクでやってきた。3日後にハーロン実家探し当てたアイラは、ハーロンの父に国旗掲揚の際にいた6人のうちの1人はヘンリー・オリバー・ハンセンではなくハーロンであった告げた。これを聞いたハーロン両親地元選出下院議員手紙送り下院議員海兵隊総司令官アレクサンダー・ヴァンデグリフトにこの件について問い合わせた。これを受けてヴァンデグリフト部下調査命じアイラはじめとする生存者3名からも証言もらった結果、8か月後の1947年1月15日ヴァンデグリフトハーロン両親のもとに手紙送り写真の6人目ハーロンであることを正式に認めた

※この「写真の6人目と認められるまで」の解説は、「ハーロン・ブロック」の解説の一部です。
「写真の6人目と認められるまで」を含む「ハーロン・ブロック」の記事については、「ハーロン・ブロック」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「写真の6人目と認められるまで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「写真の6人目と認められるまで」の関連用語

写真の6人目と認められるまでのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



写真の6人目と認められるまでのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのハーロン・ブロック (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS