元素転換説に対する反響と論争
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「生物学的元素転換」の記事における「元素転換説に対する反響と論争」の解説
いくつかの専門誌に論文を公表したケルヴランは1962年に『生体による元素転換』、1963年に『自然の中の元素転換』を出版した。前者の著作にはフランス医学アカデミー総裁のL・タノン、後者の著作には国際地球科学連合の副総裁であるG・ロンバールが序文を寄稿しており、生物学的元素転換を「革命的発見」として紹介している。続く1964年には『微量エネルギー元素転換』が出版された。これらの著作により元素転換説は広く普及され、当時の知識層に大きな影響を与えた。 たとえばJ・ミネレ、A・シモネトンといった研究者は自らの著作の序文をケルヴランに依頼し、E・プリスニエはその著作の中で元素転換のメカニズムをホメオパシーの作用と関連づけている。またB・シューベルやH・カンベフォールは地質学における微量エネルギー元素転換についてそれぞれの著作の中で記述している。そしてフランス最初の有機農法のレマール・ブーシェ法では生物学的元素転換を栽培技術の理論的根拠として採用し、「カルマゴル」と呼ばれる元素転換の活性剤を普及・販売したのである。 こうした反響に付随して元素転換説を批判する人物も各方面から現れた。G・レストラとJ・ロワゾーは1962年11月の『カイエ・ラショナリステ』に批判記事を公表しており、1965年にはフランス化学協会のE・カハネとA・シノレがエンドウマメを使用した実験を行い、否定的な結果を報告している。 これに対しケルヴランは決して自説を取り下げるようなことはしなかった。1967年12月に彼はラットを使用した実験をフランス農学アカデミーに報告しているが、マグネシウムを多く与えられたラットにはカルシウムと燐の増加が観察されたことを報告している。また1969年1月にはロブスターを使用した実験を農学アカデミーに報告したが、収支の精度に関する批判を受け、再実験を勧告された。そしてその論文と議論の全容はアカデミーの公式記録から抹消されたのである。 没後10年経った1993年に、ケルブランは「鶏卵の殻に含まれるカルシウムは常温核融合の結果生じたものである」という研究により、ノーベル賞のパロディであるイグ・ノーベル賞を受賞した。受賞に際し、ケルブランは「錬金術の熱烈な崇拝者」と称されている。
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