元総理大臣福田赳夫らから贈呈された寿像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:49 UTC 版)
「石山賢吉」の記事における「元総理大臣福田赳夫らから贈呈された寿像」の解説
石山賢吉の文章を知っていただきたく、亡くなる1年前、81歳のときから綴る。昭和38年、衆議院議員福田赳夫が発起人となり、有志から醵金をして、石山の長寿祝いとして寿像を贈った。これに対し石山は「ダイヤモンド」誌で、次のように謝意を述べている。 「さて、本人が寿像に対してみる。七割似ていて、三割は似ていない。似ていないところは、寿像が私より偉く造ってあるからだ。私はどうみても寿像ほど偉くできている男ではない。(中略)寿像は永遠だが、本人はやがて消滅する。死んだ当座は、三割似ていない本人が亡くなって、本人まがいの寿像が残ったということだろう。それから十年たったら、本人の姿があらかた消滅して、寿像だけが本人を嘲笑しながら残るであろう。そのときは、石山賢吉の姿がまったくかわるときである。それ以後に私を知る人は、寿像を私と思ってくださるだろう。それは、石山賢吉本人より、一格向上した石山賢吉である。私は、このことを想像して、寿像の作者の高村豊周氏に心から感謝する。」
※この「元総理大臣福田赳夫らから贈呈された寿像」の解説は、「石山賢吉」の解説の一部です。
「元総理大臣福田赳夫らから贈呈された寿像」を含む「石山賢吉」の記事については、「石山賢吉」の概要を参照ください。
- 元総理大臣福田赳夫らから贈呈された寿像のページへのリンク