修行時代、芥川賞受賞とは? わかりやすく解説

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修行時代、芥川賞受賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:00 UTC 版)

中上健次」の記事における「修行時代、芥川賞受賞」の解説

1965年早稲田大学受験名目同級生とともに上京するが、実際に大学受験をしたかどうかは定かではないその後入学した早稲田予備校には三ヶ月通っておらず、仕送りを受けながら、仕事もせずに、新宿あたりをうろつくといった生活をしていた。当時盛んだったフリージャズ中心とするモダンジャズのめりこみジャズ喫茶のジャズビレッジ やビレッジバンガード入り浸った1965年の秋、原稿投稿するために月会費払い込んで同人誌文藝首都』の会員となる。翌年投稿した『俺十八歳』が掲載されるその後、同誌の同人となりエッセイ創作を同誌に発表していく。この頃は、盛んに詩作をしており『文藝首都』『詩学』『文學界』などへ詩を発表している。また『文藝首都』を通じて、後に妻となる山口かすみ や津島佑子知り合っている。 1967年頃には新左翼運動に関わっている。偽学生として早稲田大学ブント系の組織接触して羽田闘争参加している。1968年、『三田文学』誌を通じて柄谷行人知り合い 、柄谷からウィリアム・フォークナーエリック・ホッファーなどを勧められ大きな影響受けた1970年交際していたかすみの妊娠機に結婚する入籍時、名字読み方それまでの「なかうえ」から「なかがみ」に変更する結婚きっかけにして、中上肉体労働始め、その夏から羽田空港貨物積み下ろし業務従事する1973年十九歳の地図』が芥川賞候補となる。これを受けて1974年から文芸誌への作品掲載増え始める 。羽田での仕事辞めてその後年間築地魚河岸運送会社などでフォークリフト運転手をして生計たてなが執筆続ける。1975年どもの家』『浄徳寺ツアー』が続けて芥川賞候補となる。1976年熊野の「路地」を舞台に、家業土方仕事従事する青年中心とした複雑な血族物語描いた『岬』で第74回芥川賞受賞する戦後生まれ初めての受賞者であった

※この「修行時代、芥川賞受賞」の解説は、「中上健次」の解説の一部です。
「修行時代、芥川賞受賞」を含む「中上健次」の記事については、「中上健次」の概要を参照ください。

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