三省堂 大辞林 |
ウィキペディア |
ジャズ喫茶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/01 13:33 UTC 版)
ジャズ喫茶(ジャズきっさ)とは、主にジャズのSP・LPレコード音源をかけ、客は鑑賞を主目的として来店する形式の喫茶店。昭和初期に[1]ジャズの普及と共にはじまったが、戦争により消滅[2]。1950年代に再開し[3]60年代に隆盛を迎え[4]70年代に下火を迎えた[5]。現在では音源の多様化、経営形態の多様化も見られる。
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 昭和8年に「ちぐさ」が開店した。
- ^ 吉田衛・著「横浜ジャズ物語 -『ちぐさ』の50年」(神奈川新聞社・刊 1985年)による。このなかで吉田は戦前の都内ジャズ喫茶について記述している。それによると、氏の把握する限りでは東京でもっとも古いジャズ喫茶は、昭和4年に本郷赤門前で開店した「ブラックバード」だという。それ以前にも厳密にはジャズ喫茶とは呼べないものの、浅草の「パウリスタ」でダンスレコードをかけていたり、大阪には井田一郎らが生演奏する喫茶店もあった、としている。
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 昭和20年代末に「キーヨ」「ヨット」「ポニー」「木馬」が開店した。
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 1960年代、山手線の主な駅の近くにはジャズ喫茶があり、(都内に?)100店あったという。
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 ジャズ喫茶が下火になっていったのは、レコード・CDが、個人が気軽に購入できる価格になったこと、ジャズが「アンダーグラウンド」な存在でなくなったこと、が理由ではないかという。1980年代初め時点では、日本全国に750店余存在したという。
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 1964年頃、大卒初任給が2万円ほどのとき、輸入盤LP1枚が3千円もするなど、個人が自分で買って多くの曲を聴くのにはレコードは高価だったので、ジャズ喫茶が隆盛したのだという。
- ^ 東京のジャズ喫茶
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 たとえば1960年代末、JBL社製巨大スピーカー「パラゴン」を設置した店が吉祥寺にあったという。
- ^ 季刊ジャズ批評No.35 ジャズ日本列島55年版(ジャズ喫茶生態学 285頁 福島輝人 昭和55年4/20 株式会社ジャズ批評社刊による)
- 1 ジャズ喫茶とは
- 2 ジャズ喫茶の概要
- 3 閉店したジャズ喫茶
- 4 関連項目
ジャズ喫茶に関連した本
- ジャズ喫茶マスター、こだわりの名盤 (講談社プラスアルファ文庫) JAZZ MAGAZINE 講談社
- ジャズ喫茶論 戦後の日本文化を歩く マイク・モラスキー 筑摩書房
- ジャズ喫茶「ベイシー」の選択―ぼくとジムランの酒とバラの日々 (講談社プラスアルファ文庫) 菅原 正二 講談社