侍従武官長とは? わかりやすく解説

侍従武官

(侍従武官長 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 16:00 UTC 版)

侍従武官(じじゅうぶかん)は、大日本帝国憲法下において、天皇に常時奉仕し軍事に関する奏上の伝達等に当たった日本軍大日本帝国陸軍大日本帝国海軍)の武官


  1. ^ *美濃部達吉『憲法撮要』(改訂第5版)有斐閣、1932年、332頁。NDLJP:1267441/179 
  2. ^ 『官報』第3826号、明治29年4月4日。


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侍従武官長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/23 08:46 UTC 版)

侍従武官」の記事における「侍従武官長」の解説

規定はないが、慣習として陸軍より任命された。 岡沢精中将1896年明治29年4月1日。 - 萩藩出身で、初代の侍従武官長(陸軍中将)となり、1904年明治37年)に陸軍大将昇進し1907年明治40年)に子爵叙せられる。 中村覚中将1908年明治41年12月29日。-1894年明治27年8月30日大本営侍従武官陸軍歩兵中佐)、同年12月25日東宮武官侍従武官陸軍歩兵大佐)、1896年明治29年4月1日に免東宮武官1908年明治41年12月19日に侍従武官長(陸軍中将)。 内山小二郎中将1913年大正2年8月22日 奈良武次中将1922年大正11年11月24日。 - 裕仁親王東宮武官長として仕え裕仁親王即位後は侍従武官長となる。 本庄繁中将1933年昭和8年4月6日。 - 満州事変時の関東軍司令官であり、打診当初昭和天皇より難色示されたが、正式な決定により侍従武官就任した実直な人柄昭和天皇信任得たが、二・二六事件の際、歩兵第1連隊週番司令務めていた女婿山口一太郎大尉反乱部隊出動黙認した上、その後の行動反乱軍と共にしていたため、宮中反乱軍寄り立場取り即時鎮圧指示する昭和天皇との間に意見の相違生じた事件後山大尉起訴される及んで責任を取る形で辞任した宇佐美興屋中将1936年昭和11年3月23日 畑俊六大将1939年昭和14年5月25日 蓮沼蕃中将1939年昭和14年8月31日 - 帝国最後の侍従武官長。

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