侍従武官
侍従武官長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/23 08:46 UTC 版)
規定はないが、慣習として陸軍より任命された。 岡沢精中将:1896年(明治29年)4月1日。 - 萩藩出身で、初代の侍従武官長(陸軍中将)となり、1904年(明治37年)に陸軍大将に昇進し、1907年(明治40年)に子爵に叙せられる。 中村覚中将:1908年(明治41年)12月29日。-1894年(明治27年)8月30日に大本営侍従武官(陸軍歩兵中佐)、同年12月25日に東宮武官兼侍従武官(陸軍歩兵大佐)、1896年(明治29年)4月1日に免東宮武官。1908年(明治41年)12月19日に侍従武官長(陸軍中将)。 内山小二郎中将:1913年(大正2年)8月22日 奈良武次中将:1922年(大正11年)11月24日。 - 裕仁親王に東宮武官長として仕え、裕仁親王即位後は侍従武官長となる。 本庄繁中将:1933年(昭和8年)4月6日。 - 満州事変時の関東軍司令官であり、打診当初は昭和天皇より難色を示されたが、正式な決定により侍従武官に就任した。実直な人柄で昭和天皇の信任を得たが、二・二六事件の際、歩兵第1連隊の週番司令を務めていた女婿の山口一太郎大尉が反乱部隊の出動を黙認した上、その後の行動を反乱軍と共にしていたため、宮中で反乱軍寄りの立場を取り、即時鎮圧を指示する昭和天皇との間に意見の相違を生じた。事件後山口大尉が起訴されるに及んで、責任を取る形で辞任した。 宇佐美興屋中将:1936年(昭和11年)3月23日 畑俊六大将:1939年(昭和14年)5月25日 蓮沼蕃中将:1939年(昭和14年)8月31日 - 帝国最後の侍従武官長。
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