侍廊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)
画像620は東三条殿(画像030)の東侍廊の指図である。通常は中門廊から直角に延びる東西棟の複廊で、正門と中門廊の間の中庭の北側になる。ただし常に対や中門廊などに接続する東西棟とは限らず、藤原頼長の宇治小松殿(画像040)や、平清盛の六波羅泉殿(画像050)のように独立した南北棟の場合もある。侍廊の前には屏が設けられ、画像621のように中が覗かれないようになっているのが通例である。 本来は侍所で、それが廊に割り当てられたから侍廊と呼ぶ。侍所や侍廊と言っても武士の詰め所ではない。「侍」の意味は「侍女」の「侍」と同じで、「さぶらう=仕える」である。侍廊・侍所は家司(けいし)、家人(けにん)の詰め所であると同時に政所、つまり家政機構の事務所でもある。画像621など、絵巻には侍所に酒や海産物やその他が侍廊に運び込まれるシーンがあり、それが裕福な貴族を現す記号になっている。 先の中門廊はいわば玄関であったが、侍廊は勝手口でもある。『三条中山口伝』の「客人来臨事」にも「大臣」「大納言已下(大臣以外の公卿)」「職事」の次にこうある。 「諸大夫、 大臣家者、非家礼人可着障子上、昇中門者非礼」。 現代語になおせば「諸大夫が大臣家に来るときは、家礼でない者は侍廊の障子上に入るべきである。中門廊から入るのは身の程知らずである」と、主人と客の身分によって出入口は細かく規定されていた。「障子上に着すべし」とある場所は、指図の残る東三条殿の画像620では左下の畳みが二枚ずつ向かい合って敷かれている部分で、中門廊側の二間である。侍廊は家司らが控える場所であるが、来客が控える場でもあった。
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