低床化への動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 05:22 UTC 版)
日本における初の大型ワンステップバスは、1970年(昭和45年)に登場した三菱自動車工業(現・三菱ふそうトラック・バス)B820J型(後乗り前降り、ボディーは呉羽自工製)である。 エンジンを右側にオフセットするなど特殊な構造を採用し、床面高さは580mmを実現していた。しかしこの特殊な構造で最低地上高=ロードクリアランスが低くなってしまい、そのためこれが走行上の制約となり、実際の導入例は多くが空港ランプバスで、路線バスとしては大阪市交通局(大阪市営バス、現大阪シティバス)と高松琴平電鉄、高松バス(共に現・ことでんバス)の3社局のみの導入であった。 1973年(昭和48年)、日野自動車工業(当時)は運輸省(現・国土交通省)のプロジェクトで大都市用モデルバスを試作する。RC系をベースにして車体は全長12mの3扉で、偏平タイヤを採用し、床面高650mmのワンステップ構造となった。また、トランスミッションにはトルクコンバータ式のオートマチックトランスミッションを採用している。 東京と大阪で試験運行が行われたが、大きすぎる車体のため混雑した道路での機動性に欠け、その後の実用化にはつながらなかった。 同じく1973年(昭和48年)に三菱自動車工業が床面を640mmに下げたバスを試作し、名古屋鉄道(現・名鉄バス)に納入している。1978年(昭和53年)には床面をさらに20mm下げたバスを試作し、同じく名古屋鉄道に納入している。これらのバスは無理な低床化により、前輪アクスルの構造に難があり、車両価格が高いうえ、整備面での難点も多く、後が続かなかった。 その後、前述の交通バリアフリー法の制定により、一気にワンステップバスやノンステップバスが普及した。
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