大阪市営バス
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大阪市営バス(おおさかしえいバス)は、大阪府大阪市がかつて経営していたバス(公営バス)である。大阪市営地下鉄とともに大阪市交通局が運営を行っていた。2018年3月31日に大阪市営バスとしての運行を終了し、翌4月1日よりすべてのバス事業は大阪シティバスへ譲渡された。
- ^ かつては守口車庫前を超えて同市内の八番まで乗り入れていた時期もあった。
- ^ 社局のお仕事 バスまつり特別編【大阪市交通局】 | Asobon!web| Asobon!web - ウェイバックマシン(2017年9月13日アーカイブ分)
- ^ 111号系統があべの橋発着(最末期は大阪駅前発着)で設定されるも1977年4月10日廃止
- ^ 1977年4月10日に地下鉄動物園前 - 太子堂の路線であった122号系統が廃止されて以降縮小を開始し、2014年3月31日のJR平野駅前 - 近鉄八尾駅前の路線であった9A号系統の廃止で八尾市内から停留所は消滅。ただし停留所はなくなったものの、路線自体は9号系統と61・61A-D号系統が通過していた。
- ^ 136号系統として大阪駅前 - 住道駅前の路線があったものの1977年4月10日に廃止され大東市内から停留所は消滅。ただし停留所はなくなったものの、路線自体は36号系統が通過していた。
- ^ バスラマ・インターナショナルNo.137 P.10 2013年4月25日発行
- ^ 最盛期の1966年度には1886台を保有していたが地下鉄の開業や路線の再編で車両数は削減が続けられた。特に2013年度は赤バスの廃止と2営業所の閉鎖もあり、2012年度末の663台から100台以上も削減した(台数についてはバスラマスペシャル6「大阪市営バスの本」P.97 1997年およびバスラマインターナショナルNo.137 P.10参照)。
- ^ 【激動!橋下維新】府市統合本部 改革の基本方針決定 地下鉄、バスの民営化など3カ月内に工程表(1/2ページ) - MSN産経west - ウェイバックマシン(2012年6月20日アーカイブ分)
- ^ 大阪府市統合本部:1万人を非公務員化 年200億円経費削減 中之島図書館は廃止- 毎日jp(毎日新聞) - ウェイバックマシン(2012年6月27日アーカイブ分)
- ^ 大阪市 交通局 【報道発表資料】赤バスの廃止について - 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(2012年11月19日アーカイブ分)
- ^ 大阪市営バス44路線 廃止方針一転存続へ 公募間に合わず(1/2ページ) - MSN産経west - ウェイバックマシン(2012年9月20日アーカイブ分)
- ^ 存続路線はそれぞれ「西淡路〜区役所」系統が11号系統(東淀川駅前経由の便は途中の新大阪駅東口までは11A号系統)、「天王寺ループ」は68号系統、「長吉長原西〜瓜破西」系統は出戸バスターミナルを境に16号系統と66号系統に分割され(ただし一部の便を除きこの2系統は連続運転)、一般系統として同年4月1日から運行していたが、このうち68号系統は1年後の2014年4月1日で廃止され、また同日には66号系統も14号系統に統合され(統合により14号系統の一部区間で経路を変更している)事実上廃止された。これにより16号系統は連続運行を終了した。
- ^ 大阪市交通局|2018.4.1 大阪市営地下鉄・バスが変わります! - 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(2018年1月9日アーカイブ分)
- ^ 大阪市営地下鉄、きょう民営化 : ニュース : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) - ウェイバックマシン(2018年4月2日アーカイブ分)
- ^ 2012年度で廃止となった赤バスは1乗車大人1人100円、小児1人50円。
- ^ ただし、ゾーンバス乗継ぎでは幹線系統と支線系統間(特系統については幹線区間と支線、支線区間と幹線での間)のみでの乗継ぎのみが可能だったのに対し、2005年12月1日以降は全ての路線および停留所での乗継ぎで可能となっている。
- ^ ただし、以前は市外の豊中市内や守口市内、近鉄八尾駅や南海堺東駅へ乗り入れる路線などで乗車区間整理票(整理券)方式による区間制運賃を実施していたことがあった。
- ^ 関一氏の思想 現代に [関西あの人この人 - 大阪日日新聞] - ウェイバックマシン(2015年3月21日アーカイブ分)
- ^ 【大阪の20世紀】(14)御堂筋 偉大な“大阪の父”市長・関一、“未来都市”へ大改造(1/5ページ) - MSN産経west - ウェイバックマシン(2011年10月3日アーカイブ分)
- ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、133頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 「大阪市交通局七十五年史」大阪市交通局(1980年3月31日)P27
- ^ 大阪市交通局|市営バス営業所閉所に関するお知らせ - 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(2015年2月14日アーカイブ分)
- ^ 中津営業所の支所としたのは酉島営業所が委託で運営しているのに対し交通局直営で運営しているためである。
- ^ ただし、方向幕は営業所別に分けられていた関係上、営業所の車種によっては、営業所から遠いなどの理由で、その営業所の車両があまり入ることのない系統番号や行先の方向幕の表示を省略していたものもあったが、この場合はいずれか片方、または両方の方向幕を無表示としていたか、あるいは「臨時」を表示して対処していた(行先表示については、大阪市営バスの主要5拠点であった大阪駅前、今里、なんば、あべの橋、上本町六丁目の表示に限り、全営業所の全車両に用意されていた。なお、当時は現在とは異なり、前面の方向幕の系統番号表示と行先表示の部分とが分離されていた)。その関係で最初期(総合操車制末期)のバスロケーションシステムの停留所での接近表示には「臨時」が用意されていた。
- ^ ネコ・パブリッシング『思い出色のバス 1950~1960 - カラーで甦る昭和中期のバス』に大阪駅前発安田行き(当時)であった36号系統で運用されているゼブラ塗装時代の写真が掲載されているが、その写真のバスに貼られている営業所のシールは「上」とあることから、この運用が沿線の営業所から離れた位置に当時設置していた上本町営業所の車両であることが確認できる。
- ^ 例えば加美営業所や住之江営業所などの車両が定期運用で営業所から大きく距離の離れていた豊中まで乗り入れられたのはこのためである。
- ^ これは西鉄バスと同じ方法である。
- ^ 閉扉時には閉まり終わるまで鳴り続ける方式。この他には国際興業バスや京阪バス、遠州鉄道などでも採用されていた。
- ^ 初期に導入されたノンステップバス(1997年~1999年導入分)については、ブザーが鳴ってからチャイムが鳴る形になっていた。
- ^ 大阪市交通局|平成24年4月1日(日)から赤バス路線で新型車両を一部運行します - 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(2012年5月23日アーカイブ分)
- ^ 大阪市交通局|平成24年4月1日(日)から市バスは全車ノンステップバスで運行します - 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(2012年5月23日アーカイブ分)
- ^ [1]
- ^ 大阪市交通局|仙台市交通局並びに岩手県北自動車株式会社への市バス車両の譲渡について - 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(2012年5月23日アーカイブ分)
- ^ 大阪市交通局|釜石市へのバス車両の譲渡について - 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(2012年5月23日アーカイブ分)
- ^ 三菱ふそうトラック・バス。交通局では単に三菱と略す表記がみられる(『大阪トラフィック・ログ』 大阪市交通局監修・交通サービス発行 2010年)
- ^ 日産ディーゼル(現:UDトラックス)。交通局では単に日産と略す表記がみられる(『大阪トラフィック・ログ』 大阪市交通局監修・交通サービス発行 2010年)。
- ^ 大阪市交通局:「常時記録型ドライブレコーダー」の運用を開始します - ウェイバックマシン(2008年12月24日アーカイブ分)
大阪市営バス
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1974年に導入した。路線を周辺部に設けた乗り継ぎターミナルから都心部のターミナルを結ぶ幹線と周辺部の地域内を運行する支線とに分け、両者の乗り継ぎに際しては新たな運賃負担を伴わない制度であった
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大阪市営バス
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