人民代表評議会政府
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「ドイツ社会民主党」の記事における「人民代表評議会政府」の解説
1918年11月9日に首相となったエーベルトは、その日のうちに独立社民党にも政権参加を求めた。独立社民党は、社会主義共和国になること、全権を労兵評議会が握ること、「ブルジョワ分子」の政府からの追放を条件として要求したが、社民党は社会主義共和国になるかどうかは国民議会を招集してそこで決められるべきこと、労兵評議会による全権掌握は一階級の一部による独裁なので民主主義の原則に反していること、国民の食糧事情の救済が急務の今「ブルジョワ分子」の追放はできないことを回答した。しかし労兵評議会の委任に基づく両派同数の政府の樹立や国民議会招集は急がないことには同意したため、独立社民党も政権参加することになった。 革命的オプロイテやスパルタクス団はこの仮政府に反発し、別政府を作ろうと労兵評議会の扇動を開始したが、仮政府も労兵評議会の多数派工作を行い、11月9日夕刻から開かれたベルリンの労兵評議会でエーベルトが事態の困難さを強調して「内輪もめ」を辞めることを呼びかけた結果、リープクネヒトの反対工作もむなしく「人民代表評議会」は多数の代議員の支持を得て承認された。さらに同日のうちにエーベルトは軍(革命の中で国内の軍は解体されていたが、前線の軍は参謀本部の指揮下にいまだ存続していた)のヴィルヘルム・グレーナー参謀次長と連絡し、労兵評議会を押さえることを条件に軍の支持を取り付けた。 11月11日にはパリ北方コンピエーニュの森で連合国に対して休戦協定の調印をさせた。この協定によってドイツは巨額の賠償金を支払うことが予定された。11月12日に仮政府は戒厳状態の廃止、集会の自由、結社の自由、検閲の廃止、戦時中停止されていた労働者保護立法の復活、社会政策の拡充、近い将来の八時間労働制の確立、また近い将来に全ての公的団体の選挙権は20歳以上の男女すべてに平等に与えられるようにし、選挙制度も比例代表制にすることを宣言した。 12月16日から5日間にわたって労兵評議会全国大会がベルリンで開催されたが、社民党がその中央委員会を独占することに成功したため、大会は国民議会の選挙日を1919年1月19日と定めるとともに国民議会招集後には労兵評議会中央委員会の権限を国民議会に引き渡すことを決議した。労兵評議会を国の基礎にしようとする思想は労兵評議会自身によって否定されたわけである。しかし革命的オプロイテとスパルタクス団は依然としてプロレタリア独裁を志向して労兵評議会こそが全ての権力の源泉となるべきであり、議会などいらないと考えていた。彼らは社民党の議会開催への努力を妨害することに明け暮れたので社民党政権と極左勢力の間で不穏な空気が漂った。 12月24日に極左の人民海兵団(ドイツ語版)が起こした反乱の鎮圧をめぐって社民党が発砲を許可したことに独立社民党が反発して社民党政権から離脱した。これをきっかけに極左勢力の社民党攻撃は一層激しくなった。独立社民党はプロイセン州の社民党政権からも離脱したが、このときに辞任を拒否した独立社民党のベルリン警視総監エミール・アイヒホルン(ドイツ語版)を1919年1月4日に社民党が罷免したことで極左勢力は怒りを爆発させて社民党政権糾弾のデモを組織した。20万人を超える大規模デモとなり、これに乗じてドイツ共産党(スパルタクス団は1918年12月30日に「ドイツ共産党・スパルタクス団」に改名していた)の指導者カール・リープクネヒトらが社民党政権転覆を狙って「スパルタクス団蜂起(一月蜂起)」を起こした。武装した共産党員たちがあちこちの公共の建物を占拠し、社民党機関紙『フォアヴェルツ(ドイツ語版)』の編集局も占拠された。これに対して社民党政権は、グスタフ・ノスケに最高指揮権を与えて反徒掃討のための義勇軍(フライコール)を編成した。1月8日から義勇軍が出動し、建物を占拠している反徒への攻撃を開始した。義勇軍は情け容赦なく共産党員たちを掃討し、敵対する者も逃走する者も無抵抗な者も関係なく次々と撃ち殺されていった。リープクネヒトもルクセンブルクもこの際に軍によって虐殺されている。 このスパルタクス団蜂起以降、社民党政権は極左から身を守る必要性を痛感し、軍とますます接近した。軍は帰還兵たちに義勇軍を次々と創設させて反革命軍事行動を行わせた。社民党政権も極左を潰す必要性からその活動を黙認した。ますます反革命化する社民党と他の社会主義政党の溝は深まった。独立社民党も社民党との対決姿勢を強め、共産党と同類の極左になっていった。
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