いつき‐ひろゆき【五木寛之】
五木寛之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 06:05 UTC 版)
五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。
注釈
- ^ ただし、このエッセイは1週間にわたって引用が続くこともあるなど、自著や過去の連載記事を引用することが多い。
- ^ 五木は1976年に行われた大藪春彦との対談で両者に共通する引き揚げ体験を語りあいつつ「ぼくなんかも、自分の身を守るために、刃物を振り回したりよくやりましたけど、知力で自分を守るなんて、考えられなかったですね」「その意味では、暴力というものに対して、いまでも一概に否定できないわけです。つまり、暴力はもたざるものの最後の武器じゃないかと」[13]と述べるなど、本作に通ずる暴力観が明かされている。
- ^ タイトルは早稲田大学露文科時代のクラス雑誌に由来する。
- ^ 1960年代から70年代にかけて発表された「艶歌」「涙の河をふり返れ」「われはうたへど」「怨歌の誕生」の4編を収録。表題作の「怨歌の誕生」(『オール読物』1970年10月号掲載時のタイトルは「実録・怨歌の誕生」)は藤圭子をめぐる実録小説で、この年8月に急逝した藤圭子の追悼出版という体裁になっている。
- ^ a b c 1991年10月19日[19]、鈴鹿論楽会(於・鈴鹿市文化会館[19])にて初演[20]。鈴鹿の論楽会はF1前夜祭として決勝レースの前晩に開催されていた。
- ^ 1991年10月、『汽車は八時に出る』などの訳詞作品と共に鈴鹿論楽会にて初演。更に翌1992年5月放映の五木寛之スペシャル『歌は国境を越えて』(日本テレビ)のメインテーマとなった(後述「メディア出演・テレビ」参照)。歌にまつわる全体の経緯は五木『ソフィアの歌』(新潮社・1994年6月、新潮文庫1997年7月)に詳しい。JASRACのデータベース J-WIDでは作曲者欄は「ロシア民謡」となっているが(2023年6月現在)、同書の譜例(ハードカバー p.109、文庫 p.97)では「~ロシア古謡より~ 五木寛之作詞・作曲」。
- ^ 現地ロケの内、五木の出演場面の大半はペテルブルクロケだが、モスクワの場面(ワガニコフスコエ墓地でのヴィソツキー・エセーニンの墓参)も若干入る。また番組ではウクライナ・キエフの民謡楽団も取材されているが、五木はウクライナロケには登場していない。
出典
- ^ 高橋康雄「孤立感と共生感」(『海峡物語』講談社文庫、1982年)
- ^ 五木『よみがえるロシア』(文藝春秋、1992年7月)p.113。オクジャワとの対談「書くことと歌うことと」。
- ^ a b 朝日新聞・1993年8月8日(朝刊)、総合第3面「ひと 作家 五木寛之さん」。
- ^ a b 三浦雅士によるインタビュ「なぜいま戯曲を書くのか」(『蓮如-われ深き淵より-』中公文庫、1998年)
- ^ 『エキゾチックジャパン新しい旅の感覚』弘済出版社 1985年(澄田信義との対談「エキゾチックジャパンとは何か」)
- ^ 第3回 日本作詩大賞(昭和45年) - 日本作詩家協会(2020年4月21日閲覧)
- ^ “『レコ大』司会、2年連続で安住アナ&仲間由紀恵 クマムシに特別賞”. ORICON STYLE (2015年11月20日). 2015年11月20日閲覧。
- ^ “日本推理作家協会賞・江戸川乱歩賞データ”. 一般社団法人日本推理作家協会. 2022年12月26日閲覧。
- ^ 『僕が出会った作家と作品 五木寛之選評集』
- ^ 『北国新聞」1967年1月29日付
- ^ 『五木寛之討論集 箱舟の去ったあと』
- ^ 木本至(『青年は荒野をめざす』文春文庫 1974年)
- ^ 森村誠一、船戸与一 編『問題小説増刊号 大藪春彦の世界:蘇える野獣』徳間書店、1996年7月、138頁。
- ^ 「漂泊者の思想」(『日本幻論』新潮社 1993年)
- ^ 川崎彰彦「解説」(『こがね虫たちの夜』角川書店 1972年)
- ^ 『僕はこうして作家になった デビューのころ』
- ^ 五木「流されゆく日々 鈴鹿でうたう子守唄」(1)(『日刊ゲンダイ』1991年10月22日)および(4)(同紙、同年10月25日)。
- ^ 作曲者はJASRACデータベース J-WIDにて確認。作曲はパブリック・ドメイン扱い(2023年6月現在)。
- ^ a b 「ことしも19日に「鈴鹿論楽会」 「歌は国境を越え」テーマに 五木寛之氏や阿木燿子さんら 多彩な出演者」(『中日新聞』1991年10月10日(朝刊)・三重版(三重))。
- ^ 五木『ソフィアの歌』(新潮社・1994年6月、新潮文庫1997年7月) Ⅴ「F1レースと鈴鹿の〈論楽会〉」より、ハードカバー p.110、文庫 p.98。
- ^ a b 五木「流されゆく日々 鈴鹿でうたう子守唄」(4)(『日刊ゲンダイ』1991年10月25日)。
- ^ “データベース>ギャラクシー賞”. NPO法人 放送批評懇談会. 2022年11月23日閲覧。
- ^ 『サンデー毎日』1974年7月21日号、pp.25-27「大人のファンタジー 『かもめのジョナサン』の読まれ方」。
- ^ 『中央公論』2019年1月号、pp.22-35、対談「正統なき異端の時代に」五木寛之・森本あんり。「ジョナサン」への違和感は、pp.26-27で言及されている。
- ^ a b 「佐村河内守氏のゴーストライター騒動で封印された新事実」livedoorニュース(2014年12月16日)
- ^ 五木寛之 21世紀・仏教への旅 - NHKオンデマンド・ホームページ
- ^ 『日本経済新聞』朝刊第1面「春秋」2021年9月19日。
- ^ “五木寛之さん「捨てない生き方」を語る”. NHKウェブサイト. (2022年4月7日) 2022年7月27日閲覧。インタビュー聞き手はNHK高瀬耕造アナ。
- ^ “五木寛之「コロナ禍の大転換を"他力の風"に変えた私の技法」”. PRESIDENT Online(プレシデントオンライン) (2020年10月2日). 2021年7月12日閲覧。
- ^ “五木寛之『流されゆく日々』連載第11,171回「デジタル難民の繰り言(2)」”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2021年7月6日). 2021年7月9日閲覧。
- ^ 【論点】「断捨離」考 五木寛之「捨てない」生き方にこだわり×やましたひでこ「捨てて」人生を楽しむ『毎日新聞』朝刊2022年4月20日オピニオン面(2022年6月29日閲覧)
五木寛之(1973年7月号~12月号)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:12 UTC 版)
「面白半分」の記事における「五木寛之(1973年7月号~12月号)」の解説
五木寛之「日本腰巻文学大賞」を開始、休刊まで毎年実施され、8回、実施された。第1回受賞は、新潮社の山口瞳『酒飲みの自己弁護』。ソンコ・マージュ「ギター無宿世界放浪記」が人気となる。
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五木寛之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:30 UTC 版)
五木寛之はどうしても仕事をしたい作家の一人だった。これまで角川書店で仕事をしたことのない五木にいかに仕事をしてもらうかが見城の課題だった。そこで見城は五木の書いたすべての作品を読み、感想を手紙で5日以内に送った。書き下ろし長編・短編・対談・エッセイ全てに感想を書いた。感想はただ「よかった」「面白かった」というだけでなく、仕事をしている本人でも気づいていないことを気づかせたり、次の仕事の示唆となるような刺激を込めるようにした。17通目を送ったとき、五木から五木の妻が代筆した手紙が返ってきた。25通目を出した時に五木と会えることになった。見城は五木と仕事してもらえることになりこの作品は『燃える秋』というタイトルになりベストセラーになった。
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