中国における徳治主義とは? わかりやすく解説

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中国における徳治主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 19:53 UTC 版)

徳治主義」の記事における「中国における徳治主義」の解説

説文解字によれば「徳」と同じ意味に用いられる「悳」の字は、「外は人に得しめ、内は己に得」と解説される。また、字形見れば真っ直ぐな心」と解することが可能であり、それに彳(ぎょうにんべん)を加えることで真っ直ぐな心による行いの意味有することになる。すなわち真っ直ぐなをもって相手恩恵与えることで自らも恩恵を得ることが出来るというものであった『書経』や『詩経』では、こうした徳は天から与えられる内面的な道徳であり、自らを研鑽してこれを積み重ねて内外恩恵与えることが出来る「明徳」な人が天命を受けることが出来ると考えられていた。 孔子は『論語為政編において「為政以徳譬如北辰其所衆星共之(政(まつりごと)をなすに、徳を以てす。たとえば北辰のその所にありて、衆星のこれに共うる(つかうる)がごときなり)」と説き君主北極星国家星空人民星々擬えて、君主が徳で国家人民治めることで、人民正し方向導いて国家調和され安定する説き国家統治要は法令刑罰軍隊ではなく道徳礼儀であるとした。孟子もこの思想継承して刑罰軍事などの力をもって国を治めることを「覇道」とし、道徳礼儀などの徳をもって国を治めることを「王道」とした。 だが、戦国時代に入ると、君主自身能力への依存運用恣意性といった難点有する徳治主義に対してあらかじめ決めた法令刑罰でもって国を統治し富国強兵目指すべきであるとする法家が盛んとなってきた。彼らは儒教徳治主義批判したが、その一方で現実的社会合わせて折衷動きもあった。荀子孔子重視した礼にも規制的な要素があり、徳治枠組みから外れる者に対して刑罰などの制裁科されるとした。また、法家ありながら荀子からも学んだ韓非は徳が持つ君主からの恩恵部分捉えて信賞必罰信賞部分こそが徳の本質であると説いた[要出典]。 極端な法家主義取って崩壊した秦が途上挫折した中央集権王権至上国家形成路線は漢に継承された。ただし、漢は秦の苛法から民衆を救うことを大義名分として成立した国家である一方で、秦の統治体制継承するという矛盾抱えていた。漢王朝には法家思想法治主義奉じる酷吏」と呼ばれる官人多数抱えていたが、そのうち1人鼂錯は「法令人情合致すべきである唱えて人民苛酷な法律は却って統治妨げになると論じた。やがて、武帝のもとで儒教体制教学としての地位を得るようになると、董仲舒陰陽五行説を基に天と人(君主帝王)の相互感応関係を論じた天人相関説唱えると、天にも陰陽があり、陽が徳で陰が刑でありどちらか一方無くて国家成り立たない説き徳治主義基本とする儒教の中で法治主義補完が必要であると主張したのである以後中国王朝表向き儒教徳治主義国家理念としての絶対的地位維持させながら、裏では法家法治主義による国家運営遂行する体制が、旧中国一貫的な統治像として確立することになった

※この「中国における徳治主義」の解説は、「徳治主義」の解説の一部です。
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