ローヌ渡河戦とは? わかりやすく解説

ローヌ渡河戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 06:01 UTC 版)

ローヌ渡河戦(ローヌとかせん)は、第二次ポエニ戦争中の戦闘である。ハンニバル率いるカルタゴ軍がイタリア半島侵攻を行った紀元前218年秋、ガリア人の一部族であるヴォルカエ族ローヌ川東岸のおそらくはアラウシオ(現在のオランジュ)とアウェニオネンシス(現在のアヴィニョン)の間付近で衝突した。親ローマのヴォルカエ族は、マッシリア(現在のマルセイユ)にあったローマ軍の一部として行動しており、カルタゴ軍の渡河とイタリアへの進入を阻止するためローヌ川東岸に野営していた。カルタゴ軍はハンノが率いる分遣隊を上流に派遣して渡河させ、ヴォルカエ軍の背後を襲撃する作戦を実行した。ハンノは到着後に狼煙でハンニバルに連絡し、伏兵として待機した。ハンニバルの本軍が渡河を開始し、ヴォルカエ軍がそれに向かうと、ハンノは背後からこれを攻撃し、ヴォルカエ軍は撃破された。ローマ軍との直接対決ではなかったものの、カルタゴ軍の勝利はこの戦争に大きな影響を及ぼした。ここでカルタゴ軍の渡河が阻止されていたら、紀元前218年のイタリア半島侵攻も無かったと思われる。この戦闘はハンニバルがイベリア半島を出てから最初の大規模戦闘であった。


  1. ^ Lazenby (1998) p. 276, Appendix III The Diary of the March, sets a precise hypothetical schedule of Hannibal's march. The precision exceeds that of the evidence, but it is based on a synoptic view. The date given is September 25 for the main crossing and battle. All dates for the battle are pinned on a statement by Polybius in Histories III.54 that Hannibal reached the top of the pass about the setting of the Pleiades, which Lazenby takes to be "the first fortnight in November" and sets arbitrarily at November 1 in the Diary. Counting back the estimated time for events he arrives at September 25 for the crossing.
  2. ^ Lazenby (1998) p. 31, based on the 160 + 60 that transported Roman troops in 218 mentioned in Polybius Histories III.41. Livy on the other hand says the Senate voted the launching of 225 banked ships and 20 light galleys, History of Rome XXI.17.
  3. ^ Livy History of Rome XXI.17.
  4. ^ Livy's History of Rome”. J. M. Dent & Sons, Ltd., London, 1905. p. 21.26. 2015年10月30日閲覧。
  5. ^ Peddie (2005) p. 14
  6. ^ Lazenby (1998) p. 32
  7. ^ Lazenby (1998) p. 33, from Appian Hannibalic War 1.4.
  8. ^ Peddie (2005) p. 18
  9. ^ Goldsworthy (2003) p. 160
  10. ^ Cottrell (1992) p. 44
  11. ^ De Beer, 1969, p. 122-3
  12. ^ Lazenby (1998) p. 35
  13. ^ Lancel (1999) p. 68


「ローヌ渡河戦」の続きの解説一覧

ローヌ渡河戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 00:16 UTC 版)

ハンニバルのアルプス越え」の記事における「ローヌ渡河戦」の解説

詳細は「ローヌ渡河戦」を参照 ハンニバル侵攻経路、特にアルプス越え経路に関して多くのが議論されている。しかし、現代の歴史家は、ハンニバル渡河前にローヌ川西岸に軍を野営させたということでは一致している。 ローマ迅速に行動せず、その同盟国運命カルタゴ委ねている間、ローマ同盟国マッシリアローヌ東岸部族奮起させることに忙しかったカルタゴ軍マッシリアへの接近という情報得たプブリウスは、イベリア遠征という当初の計画取りやめ、ハンニバルローヌ渡河阻止するという次善の策をとることとした。まず、ハンニバル軍の正確な位置を探るため、騎兵300からなる偵察隊ローヌ西岸送り出したまた、ハンニバル執政官率いローマ軍歩兵22,000騎兵2,000)が到着したことを知ったハンニバルは、ローヌ西岸部族ローマに対して持っていた憎悪利用し、この困難な渡河支援するように説得した。まず現地ケルト人から海上航行もできる多数ボート加え多く種類カヌー確保した。これらを購入したのに加えて作戦のために新たなボート作成した。この渡河準備2日間で完了したローヌ西岸カルタゴ軍待ち受けていたのは、カバレス族(Cavares)またはヴォルカエ族Volcae)というガリアであった。この部族ローヌ川反対側に防御され野営地作りハンニバル渡河待ち受けていた。ハンニバル戦術的戦略的な双方観点からアレクサンダー大王ヒュダスペス河畔の戦い学んでいたことは間違いないハンニバル渡河は、これをそのまま再現するように実施された。将軍一人であるハンノ北方迂回して適切と思う地点渡河し、その後南下してハンニバル渡河中にガリア兵の側面攻撃するように命令したハンニバル渡河用の舟艇確保した後、ハンノガリア人案内連れてローヌ川北上し、約25マイル上流現在のポン=サン=テスプリ付近に達した。そこには川の中に小島があり、2つ小さな流れ分断されていた。ハンノはここで渡河することを決断し、そこで手に入る材料舟艇作るよう命令した兵士は木を切り倒し持参してきたロープでくくり合わせて筏を作った渡河が終わると、ガリア野営地向かって直ち南進開始したこの間ハンニバルローヌ川渡河準備完了した。この渡河準備はあえて騒々し行われた - ハンニバルハンノ上流渡河してガリア攻撃向かっていることを知っており、準備秘匿する必要はないと命令した渡河準備ガリア兵に察知させることにより、彼らの関心ハンニバル自身に向けさせ、側面警戒させないためであった3日後にハンノ分遣隊ガリア兵の背後現れ事前打ち合わせ通りにその到着ハンニバル知らせた。これを受けてハンニバル直ち渡河命じたハンノ分遣隊本軍動き観測しており、本軍渡河開始するとカバレス族への攻撃準備した渡河円滑に行われるよう、作戦細部まで考慮されていた。最大舟艇には騎兵乗馬したまま載せられ最上流を渡った。その下流下馬した騎兵載せた騎兵渡河し、多くの馬は舟艇の横を泳いで渡ったが、いくらか渡河後に直ち戦闘できるように、船に乗せられていた。このため渡河直後歩兵支援してガリア兵を攻撃することができた。 カルタゴ軍渡河見てガリア兵は塹壕から出てカルタゴ軍上陸地点に近い河岸沿いに兵を配置したカルタゴ軍が川の半ばまで達すると、両軍兵士共に喚声上げお互いののしった。これらの行為戦闘前自軍兵士士気をあげるためのものであり、盾を武器でたたき同時に大声をあげて大音響響かせたカルタゴ軍が川の半ばにさしかかり、敵からののしられているまさにその時ハンノの軍が出現しガリア兵の背後および側面への攻撃開始した一部ガリア兵の野営地放火向かったが、大部分驚いているガリア兵に突撃したガリア兵の一部野営地守ろう引き返し大部分河岸とどまったため、軍は分断されてしまった。ハンニバル自身第一波と共に混乱するガリア兵の前に上陸したガリア兵は軽微な抵抗をするのがやっとで、前後からカルタゴ軍包囲され大混乱陥った兵士自身の安全を考えるのがやっとで、カルタゴ軍ファランクス粉砕され撤退した実際戦闘時間はわずかであったが、この危険でリスクが高い作戦準備のためにハンニバル5日間を費やし残存リスク最小限にしてから行動を起こしたのである

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