ランスのサン=ニケーズの丘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/11 16:37 UTC 版)
「シャンパーニュの丘陵、メゾンとカーヴ」の記事における「ランスのサン=ニケーズの丘」の解説
ランスは1991年に、ノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿の3件が世界遺産リストに登録された都市である。ノートルダム大聖堂とトー宮殿はランス市街中心部にあるが、サン=レミ聖堂のみはそこから南に1kmほどのところに位置している。そのサン=レミ聖堂の近傍には、大手メゾンが集中し、見学可能なカーヴも複数ある。登録対象になっているサン=ニケーズの丘 (Colline Saint-Nicaise) は、その大手メゾンが地下に保有するカーヴ群、ならびにドゥモワゼル邸 (Villa Demoiselle) など、メゾンが地上に建てた建造物などを含む。 ランスで世界遺産になっているカーヴは、以下の通りである。 リュイナール (Champagne Ruinart)は、1729年にニコラ・リュイナールが創業した老舗であり、ニコラのおじは修道士ドン・ペリニヨンの協力者、ベネディクト会のドン・ティエリー・リュイナールであった。リュイナールは1768年にカーヴを購入した。そのカーヴは古代ローマの石切り場を転用したもので、そもそも古代ローマの石切り場をワインの貯蔵庫に使うというアイデアは、ニコラ・リュイナールが思いついたものだったという。リュイナールのカーヴは、ランス地下の3層構造の30 km に及ぶものである。そのシャンパンはエレガントさが評価されており、エリゼ宮の晩餐会などにも供されている。 ポメリー (Pommery) は1836年創業で、現在はヴランケン=ポメリー社 (Vranken-Pommery Monopole) の下にある。上述のように、ポメリーの名を高めたのは19世紀のマダム・ポメリーであり、辛口のシャンパンを作り出した。現在のポメリーの売上高はメゾンの中で五指に入り、抱える自社畑300ヘクタールはメゾンの中で最大、そのカーヴも広大なものである。カーヴは古代ローマ時代の石切り場を転用したもので、各所に彫刻などの装飾も施されている。 ヴーヴ・クリコないしヴーヴ・クリコ・ポンサルダン (Champagne Veuve Clicquot Ponsardin) は、フランス革命の混乱期にカーヴで結婚式を挙げ、未亡人となった後に販売量を急増させたヴーヴ・クリコのメゾンで、上述の通り、ルミアージュの手法の確立などで功績があった。そのカーヴもまた、古代ローマ時代の石切り場を転用したものであった。 シャルル・エドシック (Charles Heidsieck)はドイツ系のエドシック本家から分かれたメゾンで、1851年にシャルル・カミュ・エドシックによって創業された。シャルル・カミュはアメリカにわたり、大道芸とともにシャンパンを売り込み、シャンパン・チャーリー(英語版)の名で知られた。のちに買収なども含めて規模を拡大し、その過程でランス地下20 m にあるカーヴも購入した。そのカーヴの掘削は、他の古代ローマ時代の石切り場のように、2000年前に遡るとされる。 テタンジェ (Taittinger) は1734年創業のメゾン、フルノーを、ピエール・テタンジェが買収して、1931年に創業した。現在までにテタンジェ・グループ(フランス語版)は多角的事業を営む大企業となったが、そのサン=ニケーズ広場にあるメゾン地下のカーヴは、市中心部のランス大聖堂付近にまで広がる規模を持っている。 マルテルも地下の石切り場跡をカーヴとしているメゾンで、その利用の歴史は18世紀まで遡る。
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