ヨーロッパにおける記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 08:50 UTC 版)
「産業化以前の装甲艦」の記事における「ヨーロッパにおける記録」の解説
船の装甲は木材を侵食するフナクイムシから保護する目的で船体を覆う習慣とは区別しなければならない。古代ギリシャの商船は紀元前5世紀までにはこの目的のために鉛の薄板で覆われていた。 古代ローマにおける例では、皇帝カリグラが建造させたのちネミ湖に沈め、後世に発掘された「ネミ船」の水面下の部分が薄い鉛で覆われていた 。この習慣は大航海時代においてスペインとポルトガルにおいて再び行われるようになり、また1760年代になってイギリス海軍も銅を軍船に使用し始めた。 古代ギリシャの僭主ヒエロン2世によって紀元前240年ごろ建造された巨大なSyracusiaという船はマストの先端を青銅で覆い、 敵の乗船を防ぐため鉄製の柵を甲板に設けていた。船体は鉛の板で覆われ、青銅の釘で固定されていた。 ローマ帝国のカタフラクト軍船は側面をタールを塗った鉛によって防護されていた。これは敵船の衝突に対しては十分な防御力を発揮できなかったものの、長期間海にいることによるダメージから船体を保護する役割を担っていた。 ノルウェーのロングシップの中には早くも11世紀には鉄の装甲が喫水線に沿って施されたものがあり、たとえばエイリーク・ハーコナルソンのIron Beardがそうである。 ペドロ4世(1336-87)は火器から防御するために船を獣皮で保護しており、これはローマ海軍がかつて行っていたのと同様である。 スペイン艦隊のバスク人提督Juan Lope de Lazcanoは1505年に船骨を鉄で覆った船を就役させた。 聖ヨハネ騎士団の銅張りのキャラック船サンタアンナ号を初期の装甲艦とみなす識者もいる。1522年から1540年まで、この軍船は地中海においてオスマン帝国に対し効果的に運用された。 プレヴェザの海戦においてオスマン帝国の艦隊に深刻なダメージを与えたヴェネツィア共和国の旗艦Galleon of Veniceには金属の板が張られていた。 1585年のアントワープ包囲戦 において、オランダ側は所持していたマン・オブ・ウォーである Finis Bellisの一部に鉄板を張っていた。 1782年に ジブラルタル包囲戦において使用された浮き砲台は木製の板・鉄格子・革で作られた分厚い装甲が施されていたが、あまり効果をあげることはできなかった 。
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