ホノルルのKIKUコールサインの過去の歴史
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「KIKU」の記事における「ホノルルのKIKUコールサインの過去の歴史」の解説
放送中は「40年以上」と宣伝しているが、歴史上「KIKU」のコールサインを使った局は二つある。どちらもハワイを放送エリアとして日本語放送を行ってきたテレビ局だが、現在の「KIKU」とVHFチャンネル13を使ったかつての「KIKU」は別の法人である。以下、それぞれについて記述する。 かつての「KIKU」はワトゥムル・ブロードキャスティング・カンパニー(Watumull Broadcasting Company)の所有の下、1962年7月4日(独立記念日)に独立局KTRG-TVとして立ち上げられた。その後、敏腕のメディア経営者として知られたリチャード・イートンはKTRG-TVの経営が傾いているという情報を聞きつけ、フレンドリー・ブロードキャスティング・カンパニー(Friendly Broadcasting Company、以下「フレンドリー社」と表記)を開設してこの局をオーナーのハワイアン・パラダイス・パーク社(Hawaiian Paradise Park Corp.)から買収し、自ら経営を立て直そうと画策した。1966年にはフーヴァー立石(Youichi Hoover Tateishi)がフレンドリー社に加わった。ハワイ生まれの帰米二世である立石はハワイ大学を卒業後、米軍に勤務したのちに日本語ラジオ局KOHO、KZOOの開設に関わり、その経営に尽力していた。 1966年2月3日にフレンドリー社は放送通信事業の規制監督を行う連邦通信委員会(以下、FCC)に対して放送免許の移行を申請したが、それに対してFCCは免許移動にあたって、市場調査の妥当性、コミュニティーのニードが本当に満たされるのか、管理能力はあるのかの3点について聴聞を行う必要があると通知してきた。さらにFCCのジョンソン委員による「外国語放送の有益な面を評価しつつも、それによる国家の分裂や分断化を懸念せざるを得ない」という内容の反対意見書が添付されてきた。 この通知を受けて事態が膠着すると判断した立石は一旦フレンドリー社を離れて単身日本に渡り、東京や大阪のテレビ局を訪問して番組の調達ルートを開拓した。またKTRG-TVの権利者デヴィッド・ワトゥマル(David Watumull)と交渉し、定期の日本語番組の放映を開始した。この番組には日本からの番組のみならず独自制作の番組も含まれ、日本語講座や地域番組、女性向けの番組などがあった。 聴聞会では立石やハワイ大学・アジア太平洋地域言語学教授のジョン・ヤング博士などがハワイにおける日本語放送の必要性を主張した。その結果、審査委員会は放送免許の移管を認可した。1966年にKTRG-TVは売却され、コールサインをKIKUに変更した。こうして1967年11月3日にKIKUは初放映を行った。 初代ゼネラルマネージャーには立石が就任した。当初は設備も不十分で視聴取状態も悪く、映像が途切れたので「聞くテレビ」などとヤジが飛ぶこともあったというが、立石や2代目ゼネラル・マネージャーのジョアン二宮らは地道に改善を積み重ね、順調に人気を集めた。特にジョアンの時代劇や子供番組路線が公表を博した。初期のKIKUは、1970年代を通じてハワイの子どもたちに大人気となり、仮面ライダーV3、人造人間キカイダー、愛の戦士レインボーマン、がんばれ!!ロボコン、秘密戦隊ゴレンジャー、バトルフィーバーJなど、日本の特撮番組を放映した。 サンディエゴのクッシュマンは、テレビ朝日と10人の地元投資家と協力して、ミッドパシフィック・テレビジョン・アソシエイツを結成し、1979年4月9日にチャンネル13を買収した。買収を招いた原因には円高による番組放映権の高騰があるという。日本の番組は簡素化され、19:00から22:00までのゴールデンタイムに移動した。KIKUは『kid vid』形式に切り替え、『ザ・チルドレンズ・アワー(The Children's Hour)』や『プロフェッサー・ファン(Professor Fun)』などの番組で成功を収めた。日本の番組枠の縮小に対して地域住民の反対運動もあったが、日本の番組は1981年までに完全に廃止された。 1984年、KIKUのコールサインはKHNLに変更された。1986年、KHNL-TVはシアトルを拠点とするキング・ブロードキャスティング・カンパニー(英語版)に売却され、同年、チャンネル13はFOXネットワークのチャーター系列局となった。しかし、KHNLはアジアの番組コンテンツ、主に相撲の試合を放送し続けた。1992年、キング・ブロードキャスティング・カンパニーはプロビデンス・ジャーナル・カンパニー(英語版)とその金融パートナーであるケルソ&カンパニー(英語版)と合併した。KHNLは現在、1996年1月1日の系列変更により、当時の所有者であるSFブロードキャスティング(英語版)とのグループ全体の加入契約を通じてホノルルのFOX系列となったKHON(チャンネル2)との放送局交換のネットワークの提携に続いて、市場のNBC系列として運営されている。
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