フランス敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「フランス敗北」の解説
詳細は「ナチス・ドイツのフランス侵攻」を参照 チャーチルが首相に就任した5月10日はちょうど「まやかし戦争」が終わった日だった。同日早朝、フランスを陥落させるべくドイツ軍がベルギーとオランダへ侵攻を開始し、「西方電撃戦」がはじまった。英陸軍は1939年9月以来、海外派遣軍22万5000人をフランスに上陸させ、フランス・ベルギー北部に展開させていたが、ヒトラーはこの軍の包囲を狙ってエーリヒ・フォン・マンシュタイン中将立案の作戦に基づく攻勢をかけさせた。ハインツ・グデーリアン装甲大将が率いるドイツ軍装甲部隊はフランス軍の盲点になっていたアルデンヌを通過して、ディナンとセダンからマース川渡河に成功し英仏海峡めがけて進軍した。王立空軍は出撃するも、半数近くが撃墜された。 慧眼なヒトラーは、今は歩兵攻撃の時代ではなく、戦車や車両が最前線を突き進んでいく電撃戦の時代であることを見抜いていたが、チャーチルは第一次大戦の観念を捨てきれていなかった。戦後チャーチルは「猛スピードで進軍する重装甲部隊の侵略が、どれほど先の大戦の大革新であったか私は全く理解できていなかった」と回顧録の中で述べている。 5月15日朝7時頃にチャーチルはフランス首相ポール・レノーからの電話で「我が国は敗北しました。」と聞いた。寝ぼけていたチャーチルには意味がよく分からず、黙っていたが、レノーは「我々は敗北しました」を繰り返した。チャーチルはレノーを落ち着かせようとしたが、彼はパニック状態だった。チャーチルはとにかく明日にもパリを訪問することを約束した。5月16日午後にパリに到着したチャーチルは、レノーの言ってることが大げさでも何でもなかったことに気付かされた。連合国最高司令官モーリス・ガムラン仏参謀総長は真っ蒼な顔で小刻みに震えていたという。チャーチルは「フランス軍の本隊と予備隊はどこにいるんです」と聞いたが、ガムランは「そんなものはもうありません。」と答え、ただちに王立空軍10個飛行中隊を増援に送ることを要求した。チャーチルはフランス脱落を恐れてやむなく了承したが、恐らくドイツ軍の電撃戦を空から阻止することはできないだろうと見抜いていたという。また、この増援によりイギリス本土に残る飛行中隊は25個だけになった。これはギリギリの線だった。これ以上出せばイギリス本土の制空権がドイツ空軍に脅かされる可能性が高かった。
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